鬼灯の赤さからの夜明け~高橋登紀夫に挑む その一

鬼灯

鬼灯の赤さからの夜明け  登紀夫

この夜明けはきっと赤い夜明けなのだろうと思う。そして、お盆のころにも感じられた。お盆に鬼灯を飾るのは、先祖が無事家にたどり着けるよう提灯を鬼灯に見立てているからだという。鬼灯の赤と夜明けの赤が呼応していることは言うまでもないが、この呼応は先祖が家から天へと帰って行った姿ではないかと思う。(由紀)

「ほおずき」「赤さ」と聞いて浮かぶのは、お盆、故人、たましい、血縁などなど。これらを「自分を支えてくれるもの」と捉えられる人は幸いです。一方で、これらに縛られ苦しんでいる人も多いのでは。夜明けを迎える為には、赤い繋がり以外の「他者の手」が要るように思います。(土易)

夜明け前に目を覚ましたのでしょう。窓から見える鬼灯。その赤が次第に色鮮やかになっていく。そんな景を思い浮かべました。時間の経過を詠んだ句はうまくいかないことが多いと言われますが、色を効果的に用いることにより、印象的な句として仕上がっています。ぜひとも会得したいものです。(洋三)

 

蟋蟀

研ぎ終えし包丁鉄の匂いちちろなく  登紀夫

ちちろがコオロギであることを知らず、句によって初めて知った。ちちろの 方が静かな響きである。包丁の鉄の匂いは、独特のさみしさがある。そのさみしさをあらわすのはコオロギではなくちちろがふさわしいと思う。包丁を研ぎ終え、静けさがきわだったところに、響くちちろ。このさみしさの質感は、秋の夜の質感なのだろう。(由紀)

生活のひとこまを描いた句。その中に、匂いと音。さらには視覚はもちろん、「研ぐ」という触覚さえ表されています。それらが読み手にリアルな実感を覚えさせます。お見事です。(洋三)

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