銀杏は奢りのいろこの家絶えて久しき~高橋登紀夫に挑む その二

銀杏

銀杏は奢りのいろこの家絶えて久しき  登紀夫

銀杏に埋もれてしまう廃墟の姿を想像した。奢れるほど立派な銀杏を擁していた家なのだから、とても大きな家だったのだろう。しかし、その家の今は「絶えて久しき」である。眩しく葉を染める銀杏は、絶えてしまった家にとってのノスタルジーであろう。皮肉なことに、銀杏の奢りのいろは散る間際の色でもあるが。(由紀)

銀杏、銀杏の校章…東大?この一族には優秀な方がいらっしゃったのかも…と、ここからは妄想です。
あるじの奢りはどんどん発酵してゆき、ついに家は朽ちて絶えてしまった。優秀なはずの跡取り(兄)は遠い都会に暮らし、まったくの他人事。無人の実家に久しぶりに入った。分不相応に太いこぶだらけの床柱と欄間。苦々しい思いで私は鍵を閉める。帰ろうとして振り返ると、松が綺麗に整えられていた。叔父に違いない。(父とは正反対の性格なのだ。)私は非力で、父の尻拭いはすべて夫がしてくれた。遠い町の出身の夫はよく働くひとだ。(まだ終わってない。)私たちはすべてが終わったわけではないのだ。帰路につく。今夜のおかずは久しぶりに夫の好きながめ煮にしよう。(土易)

この「銀杏」は黄葉なのでしょう。黄色は中国では皇帝の色とされていますが、ここでは「奢りのいろ」と表現されています。作者は武家屋敷の町、角館にお住まいの方。それを知ると景はさらに広がります。秋の余情に風土性を重ね合わせた佳句です。(洋三)

 

柿

熟柿三つの籠の中のぞかれ  登紀夫

ほんとうに些細なことであったのだろうが、些細な秘密を見られてしまった心情が、言い切りでない句のかたちによく現れていると思う。また、「三つの」「籠の」「のぞかれ」と、のを多用することでリズムが生まれ、読んでいる側に作者の籠をのぞいているような感覚を抱かせている。(由紀)

数を用いることにより、句の印象がはっきりするものです。ここでは「三つ」。じゃあ、一個ぐらい呉れないだろうか、という相手の視線を感じ、さらにはそれに対してちょっと困っている作者の様子が窺えます。何気ない内容の句ですが、さらりと技巧を凝らしているあたり流石です。(洋三)

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