ロックの若者にたてがみ秋を騒がしている~高橋登紀夫に挑む その三

馬

ロックの若者にたてがみ秋を騒がしている  登紀夫

モヒカ ンの青年なのだろうか、ヴィジュアルだけでも非常に騒がしい。
馬の嘶く姿が、ロックンロールに呼応し、反逆の精神を持った若者に自然に重なっていく。たてがみは馬の象徴であり、ロックの若者のひとつの象徴でもある。
個人的には、作者が見た若者が誰であるか気になるところである。洋楽、聴かれるのかしら。(由紀)

「夏休みぐらい家でゆっくりすればええのに。」息子は進学して家を離れている。町に祭太鼓の練習の音が響き始めた。
「青年団入って太鼓叩きに行けばええのに。」
「お母さん知らんな? みんな金髪のたてがみなんやぞ。」
秋祭り。ぎょっとさせられるような髪型の若い衆。よく見れば、小さい頃から知っている顔もちらほら。気づけば目礼してくれるのが可愛くもあり、やはり彼ら地域の宝だ。息子はこの秋も帰らない。友達とバンドを組んでいるらしい。遠い学生の街で。しばらく見ないうちに息子にもたてがみが生えているかもしれない。(土易)

私もかつては「たてがみ」豊かなロック兄ちゃんでした。そんな私から言わせると「秋を騒がす」のフレーズはまさに言い得て妙。グッと来ます。これは「春」や「夏」では当たり前。寂さを感じやすい「秋」だからこそ「騒がしている」が生きるでしょう。寂しさなんかブッ飛ばせ。って感じです。(洋三)

 

カラス

鳴くは鴉の自由秋のうちだ鳴いてよろし  登紀夫

なぜ秋のうちなのか、ということが真っ先に浮かんだ。そして思った、やっぱり秋だ、と。
夏では蝉の声が圧倒的に目立つ。ただでさえ蝉で騒がしい中に、カラスに鳴かれてしまったらたまったものではない。冬は冬で寒々しい。雪が降ってしまえばカラスも鳴くどころではなくなり、また、聞いている方もあの物悲しさを含んだ声で余計寒くなってしまう。
そうすると、稲穂や柿の実った秋の風景でのんびり鳴いているカラスがもっともふさわしい。また、秋は季節の中で最もセンチメンタルに寛容な時期であると思う。カラスの少しさみしい声も、秋の風景では風情としてとけこめるであろう。

中二だった。当時は「中二病」なんて言葉はなかったけれど、黒い制服に包まれ各々が鬱屈していた。
その夏クラスでは「スカートめくり」が大流行した。(随分幼稚だ。)女子も箒やモップで徹底抗戦した。我ら鴉たち毎日が大騒ぎだった。秋風の頃、先生に気付かれ大合戦はあっけなく幕を閉じた。
あれは一体なんだったんだろう。
でも…皆気づいていた。三年生になったら、受験生になったら、大人になったら、こんなから騒ぎなど、もう、ありえないのだと。
あれから二十年以上経ち、先日同窓会があった。
「僕、会社潰しちゃってねー。今、電気関係の仕事してるの。」ひでちゃんが明るく笑う。中学からお金持ちの私学に移った子だ。
「中学違うけどアキが呼んでくれたんだよ。」胸が詰まる。私も夫とふたり小さな自営業だ。元気な体があれば大丈夫だよ、としか言えなかった。
そして「次も来るよね。」と別れた。
…そんな思い出を引っぱり出してくれる登紀夫さんの句です。(土易)

ズバリ言いきっています。「秋」は「鴉」にとっても食べ物の美味しい季節。人間にとっては困ることもありますが、一緒に「秋」を堪能するのもいいでしょう。物言いはぶっきらぼうですが、優しい眼差しを感じる句です。(洋三)

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