万華鏡Ⅲ

 俳三昧初期のこと        若木はるか

 令和三年四月に俳三昧も百回を数えました。それで、俳三昧が始まった頃のことを少し書いておきたいと思います。

 俳三昧が生まれるきっかけとして、平成二十四年の九月から十月にかけて行われた、東京自由律俳句会の若手十五名(五十歳以下)へのアンケート、それに続いてネット上で行われたシンポジウムが大きな役割を果たしたと思います。シンポジウムと言っても、先のアンケートをもとにネットに書き込む意見交換みたいな感じ。それでも、普段そういう機会のない地方在住者にとってはとても刺激的でした。同じように自由律をやっていて、同じようなことを考えたり悩んだりしている人がこんなにいるんだ、実在しているんだという実感がとても嬉しかった。たぶんその流れを止めたくないと思う気持ちが俳三昧を生んだのだと思います。

 俳三昧は平成二十四年の十一月に、渋谷知宏さんの呼びかけで始まっています。点はつけない、評のみのネット句会。この「評のみ」というルールが実は俳三昧の句会のありように大きな意味を持っていると思うのです。社主の唯人さんに相談したことと思いますが、今の俳三昧につながる枠組みを作ったのは知宏さんと言っていいでしょう。このことに心から感謝を捧げたいと思います。

 第一回の投句メンバーは渋谷知宏、湯原幸三、本間鴨芹、風呂山洋三、粟野賢太郎、中筋祖啓、若木はるかの七名、それに正木土昜さん(後に正木かおるに俳号を変更)が評で加わっていました。他に社主、田中耕司、森命の三氏がオブザーバーとして評をつけてくれていました。第二回からは「若手錬成句会」と銘打たれ、土昜さんが投句から加わりました。当初は「若手」かつ「地方在住で句会参加が困難な者」を主な対象者として考えられたものだったと思います。互選はないものの、社主がその月のザブトン句を決める、という流れでした。

 さて、最初期の俳三昧は投句版がリニューアルしたため遡ることができません。ですが、第二回についてはあまりに面白かったため、全部ではありませんが、一部を個人的にプリントして残してありました。この時非常に盛り上がったのは、知宏さんの

熟柿吸いつつ吸いつつ吸いつつ男はバカ
 という句についてでした。「吸いつつ」という同語の三回繰り返しは成立するのか? 効果的と言えるのか? について、一回で充分、二回まではOKじゃないか、いや、三回もアリだろう、と議論が大いに盛り上がりました。そしてここから、後にそれぞれが三回繰り返しに挑戦する試みがなされていきました。

第八回俳三昧の幸三さんの句

巣立つなら生きてくれ生きてくれ生きてくれデカイ空だぜ

俳三昧ではなかったものの風呂山洋三さんの
庭の真ん中紅く紅く紅く山茶花
などに三回繰り返しの議論が活きています。私は当時は二回繰り返しで撃沈していますが、後に三回、四回繰り返しを試みたりしています。

 助詞「の」についても同じようなことがありました。一句の中に「の」×三回、あるいは四回を試して、効果を問う、といったことです。私の句、

紅葉の山の斜面の雲の影がZ
は、何を伝えたいのか考えるべきという評を受け、最終的には次のようになりました。

紅葉の斜面うねる雲の影がZ

土昜さんの挑戦句
菜の花の丘の向こう入り江にさざなみ
は再考され、なんと「の」が五つに!
菜の花の丘の向こうの入り江のさざなみ

また、海紅社句会に出された幸三さんの句

素足の下駄の大安の鼻緒が痛い
は、「俳三昧」で最近はやりの「の」重ねです、とレポートで紹介されています。

 こういった挑戦や議論はとても楽しく、一度意見を書き込むと、他の人の反応が気になって、待ち切れない気分だったことを覚えています。また、短律句や長律句についても成立するかどうかが盛んに議論されました。

 最初期にこういった議論がなされたことと、点をつけないというルールのおかげで、実験的な句をどんどん出していく俳三昧という句会の方向性が決まったと思います。点を取るための整った「どうだ!」という句よりも、あれこれ議論ができる句の方が面白いのです。それで、どれだけ議論が盛り上がる句か、ということが投句の基準となっていった気がします。もうひとつ、「これはどうなんだろう?」と迷っていてちょっと自信を持てない句だったり、自分では工夫をしたつもりだけれども、読み取ってもらえるのか? という句も、俳三昧には臆せず出すことができました。いろいろな意見をもらえるので、どこを考え直すべきなのかポイントが明確になる楽しさがありました。たとえその時にはっきり納得できなかったとしても、後々はっとわかったり、句作に活かせるようになっていく実感もあったと思います。

 こうした実験句は「若手」と称される年代には共感を持って評されることが多く、ベテラン先輩陣には辛口批評をいただく、ということが多かったように思います。そのどちらもが嬉しく、糧になるものでした。海紅の伝統ではこう、自分はこういう指導や助言を受けたという先輩方の話は非常に参考になりました。そして、若手世代の共感や面白がってくれる気持ちはこれで進んで行っていいんだという勇気をくれました。

 俳三昧のメンバーは入れ替わり、初期のメンバーで残っているのは私だけになってしまいました。それは寂しいことですが、あの頃の浮き立つような喜びは今も私を照らしてくれているように思います。それと、長いこと続けたおかげで、いささか文章力が上がったような気がしています(笑)。

 俳三昧は今も続き、相変わらず実験的な句は大歓迎です。最近は熱っぽいと言うより、かなり分析的になっているかもしれません。評する、評されるにはそれなりの覚悟も必要ですけれど、ヒントがたくさん拾えることは確かです。

あなたも俳三昧に参加してみませんか?