新春譜

「父母の句の中の私」       吉川通子
 大学ノートを縦書きにして父はよく何かを書いていた。それが自由律俳句だと知ったのは、私が社会人になった頃だったと思う。

 子供の頃から父、河合さかえは、兄の政(河合夢舟)の影響を受け、その仲間や兄弟たちと自由律俳句を作った。『海紅』に投句していた時もあった。仕事で地方を転々とし、忙しい時は句を作る時間もなかったようだが、それでもいつしか自分のノートに句を書き留めていた。
 福岡と東京にいる兄弟たちとの行き来に自由律俳句が加わった。
 昭和四十七年、姉、上塚功子の結婚式の時がその発端になったようだ。その前夜は父と兄弟たちとの大宴会、やがて句会が始まる。まだ学生だった私は深夜までその宴会の手伝いをした。伯父たちの話は楽しく笑いが溢れていた覚えはあるが、どうも俳句の記憶がない。かすかに短冊や筆があったような。

『海紅』にその時の句会の投稿を見つけた。
以下、『海紅』昭和四十八年一月号から。

お祝い句座(福岡)十一月二十五日  栄居
 福岡の栄の長女結婚、その日にかけつけたのは空から尉策、たけし、夢舟。水戸人は岡山のりかえで着いて、その前夜十一月二十五日の栄居は、大変な賑い。
新婦功子がおずおず見せた一句
いちめんの霧つばめは朝の飛行訓練
 両親もこれからの句作を約束しての一夜であった。 

あす嫁ぐしぐさが子供でやわらかい笑    水戸人
君たちと功子とどこも陽いっぱいになれ

空港のどこも冬景とりわけて滑走路のいく条 夢 舟
嫁ぐきもち誰にもつかめないその前夜である

羽田上空冬空新鮮ふたり発つ        たけし
アンセリウムいちりん手にし明るく

午後になると石蕗の花に陽がくる      喜奴
母としての二十七年いま白菜よく洗う

 遠来四人にいうことなし娘にくる幸福    栄
 兄の老いを感じ二人して柿の空仰ぐ

 この時から何年たっただろう。平成六年、父は『草花』
という句集を作った。母喜奴の句も収められている。こ
の句集の中にときおり私も登場する。その句の詠まれた
場面が思い出され、父や母の気持ちが改めて分かったり
する。

娘の考えが新鮮なので大雪ぎらぎら輝いたりする
 この句は父と何かで意見を言い合った時の事、こんな
句になっていたとは。

結納いただく朝はさざんかにじょうびたきいて(母)
ブーケにはカトレア一輪そえ娘とガラス張りの花や
あす嫁ぐ娘とぎんなん串にさし(母)

嫁がせてしまい夫婦ものいわず切山椒たべ
 私の結婚の頃の句。三句目の母の句には大宴会の準備
の様子が盛り込まれている。父や母との時間がよみがえ
る。

臨月で縫物している筆りんどう芽ならび(母)
出産入院前子供に鉛筆削る娘(母)
乳首吸うを不思議なものと見ている冬の夜
赤児の匂いが家に充ちあす立冬と聞かされ
 実家へ帰って出産のとき、三カ月近く何から何まで助けてもらった。母の句が生まれる前の句なのは、忙しくて句を作る余裕が無かったからだと思う。

別れに涙しそのあと柿をくい蜜柑くい
わびしさどうしようもない夕月も出て(母)
ブラジルにいる娘のことまたいい出すぎらぎら冬陽(母)
 夫の転勤でブラジルサンパウロへ。二年ごとに一時帰国をしたが結局六年三か月の滞在だった。転勤が決まった時、父がそんなに遠くへ行くのかと言った。父も東京から長野を経て転勤のため昭和二十五年、青森県弘前市へ家族で引っ越した。その頃の東京~青森間はブラジルくらい遠い所だったのではと思う。「お父さんだって青森まで行ったでしょ。同じくらい遠かったんじゃない」と話した覚えがある。

 父の句集にも、『海紅』の中にも、兄弟や家族、孫、ひ孫たちまで登場する句がある。そして今、私は父や母と同じ年代になった。まだ高校生だった息子が、祖父の句集に自分のことが詠まれている句をすばやく見つけ、にやにや笑った。そう、なんか嬉しいものなんだ。

 

ファインダーのむこう現在《いま》だけがある                   若木はるか

 十年ぶりくらいで一眼レフのカメラを引っぱり出してきた。写真俳句にもともと興味はあったが、直接のきっかけは、たまたま本屋で写真俳句の作り方の本がワゴンに積まれていたこと。「まず写真を撮れ」か。ふむふむ。句はあとで考えればいいのだ。なるほど。その本は結局買わないで、超初心者向けにカメラの扱い方を漫画で描いた本を買って帰った。

『カメラはじめます!』こいしゆうか作、サンクチュアリ出版、千二百円+税。
 なるほどなるほど。AVモードを使えばいいのか。絞りってやつはこのダイヤルか!

 子供の野球や吹奏楽を撮っていた時は、絞りすらわからず、カメラにおまかせで撮っていたのだった。絞りの調節を覚えたら、背景をぼかした写真が撮れるようになった。シャッターを半押ししてピントを合わせると、被写体がふわっと浮き上がる瞬間がある。これが楽しい。
 そうこうしているうちに雪の季節になった。すると、ありふれた裏の公園や山が、何の変哲もない木や地面が、驚くほど美しいのだ。日常にあるセンス・オブ・ワンダー。私の写真のほとんどは、家から半径百メートル以内で撮ったものだ。

 雪の粒を撮れないだろうか? 動くものを撮るならTVモード。シャッタースピードを変えることができる。木の幹をバックにしたら、雪の粒がわかる写真が撮れた。つららから落ちるしずくも撮れた。う~ん、面白い!
 雪の山茶花、逆光で色がきれいに出ない。こういう時はどうするんだろう? もう一度本を見る。画面に明るさを足すことができる? これが露出か。ファインダー内に数字が表示されているのはわかるが、これをどうやったら変えられるのか? カメラによって違うから、取扱説明書で確認しろと本は言う。ええ~っ! 十何年も前のカメラ、とっくにトリセツなど紛失している。だが! 今はネットで検索すれば、ちゃんとトリセツが載っているのだ! ボタンを押しつつ、絞りと同じダイヤルを回すのか。こんなん、ただいじってるだけじゃ絶対わからんわ! エセ関西弁でキレつつ、なんとか操作を習得。わかってみれば超便利、夕方でも朝の光で撮ったように明るく撮れたりするのである。カメラの性能がぐっと上がったように感じる。使えてなかっただけなんだけど。

 ここまで来ると世間様にもっと見てもらいたい欲がむくむく湧いてきた。令和になったことだし、Twitter再開してみよっか。まずは一日一句、写真とセットでtweetすることにした。一眼のデータを移すやり方がわからなくて、写真はiPhoneで撮った画像なのが残念だったが。(最近、一眼画像をアップできるようになりました。よろしかったら、はるか@haru2moonでご覧ください)

 まだまだできないことは多い。でもいいのだ。少しずつできるようになればいいのだ。楽しむのが主眼なのだから。
 ファインダーをのぞいている間は被写体しか存在しない。光や風を待ったりすることはあるけれど、基本、時間は止まっている。過去も未来もない、あるのは現在だけ。過去の失敗や先行きの不安にくよくよしがちな私には、写真がとても良いセラピーになっていると思う。

 写真俳句、一緒にやりませんか?
 句にしたい映像がはっきりするので、いい句ができちゃいますよ?(厚顔か!)
 後から確認したり、ズームもできるので、観察眼の補強になりますよ?(これはおススメ!)
 海紅に送ると載せてくれちゃったりしますよ? カラーで見返しもあり得るよ?(たぶん)
 いいことずくめです。同好の士が増えてくれたら嬉しいな。

 大相撲考             中塚唯人
 私の子供の頃は午後五時過ぎになるとNHKのみならず民放でも何処でも大相撲中継一色だった。従って否が応でも相撲フアンにならざるを得なかった。その頃は栃若の全盛時で千代の山や鏡里、吉葉山などが華やかなりし時代だった。相撲カルタなどがあって「褐色の弾丸・房錦」とか「もろ差し一気の信夫山」などがあり、その後も「潜航艇・岩風」、「人間起重機・明武谷」等の決まり手を持つ力士のカルタがはやったものだ。最近では「技のデパート・舞の海」ぐらいになってしまった。ご贔屓力士の勝ち負けや優勝の行方などと同時に技の応酬に一喜一憂したものだ。昨今は外人力士の台頭で大型が常識で、決まり手も押し出しが多い。つまりはパワーズ・オンリーと言ったところで、四つになっての技の応酬が少なくなり、食っちゃ寝、食っちゃ寝で、まともに四股や鉄砲、すり足など真面目にやっている力士は白鵬ぐらいのものだ。今の関脇大関を見ると上半身ばかり大きくなって下半身の細さが目立ち、これでどんと当たってぶっ倒れ土俵を転落すれば怪我するのが当然だ。何せ横綱の土俵入りで四股を踏んでも足が上がらない横綱がいたぐらいだ。短命にもうなずける。しかも相撲協会は国技の名の下に商売にばかり目が行き、年六場所に巡業などの過密スケジュールで力士の健康など見向きもせず、公傷制度に鼻もかけない。これでいい相撲を取れとなどよく言えたものだと思う。相撲フアンと称する人達もちょっと若い力士が勝ち込むとすぐに俄フアンとなり、過度の期待をかけ贔屓の引き倒しで潰してしまう。

 それといけないのは大関がやたらと休み、負け越してはその次の場所に復活するという延命制度だ。昔の大関以上の力士は力が落ちれば潔く引退したものだ。これが次代の若手を育てていた。ところが延々と居座りやはりもともと実力があるので落ちれば下では勝ち越しぐらいは朝飯前だ。これでは若手が伸びてこない。今や困った時は白鵬に頼りっきりで番付の地位などあってなきにしもあらず、毎日インタビュールームは大賑わいだ。

 そこで私は相撲の見方を変えてみた。今、興味のある力士は照ノ富士と幕下の納谷と十両の若の里だ。先の二人は午後2時15分頃にテレビに登場する、毎日見るわけには行かないのでこれを録画して見るのだ。私はよく言われるように押し相撲は横綱になれないと思う。特に照ノ富士はまだ強引な小手投げなどの大技が気になり、怪我との付き合い方が心配だがそれも回復してきた証しである。九州場所では全勝優勝し、新年からは関取復活で楽しみである。納谷は言わずと知れた大鵬の孫。未完の大器ではあるが。そうそう宇良も復帰した辺が見所だ。

 次に面白いのが呼び出しの利樹之丞。まだ幕下なので館内も静かで朗々と歌い上げる呼び出し声はビブラートが効いてオペラのようだ。そして行事は式守勘太夫。一昨年に大病で休場していたが九死に一生を得て、作年九月場所より土俵へ復帰、現在の上皇様が場所で観戦中に八角理事長に前名の「与之吉さんは大丈夫ですか?」と聞かれたことに大感激した。赤白などツートンカラーの装束をよく着ているが他にも多々の装束を持ち、水玉陣羽織は目を奪われるほど美しい。

 好くは思わないのが照強の塩まき。昔、若秩父が大量の塩を高々とまくのに対して出羽錦が指先で少しだけ塩をまいて、飄々としていた姿が目に浮かぶ。
 いやあ、大相撲の楽しみ方は多々ある。それを見つけるのもフアンの勤めと思う。次は何かな。