新春譜

新年号恒例の「新春譜」です。題材自由、海紅同人ならば誰でも投稿できます。各地の出来事をお楽しみください。今回が今年度の最終回です。

  獣の星                若木はるか
 「ハクビシンにやられた!」
と息子が帰ってきた。ある夏の日のことである。やられたのはトウモロコシ。種を吟味している姿を見ていたので、収穫目前で喰われてしまうとは、どんなに悔しかったことだろう。うちで食べることができたのはわずか三本ほど。順調に行けば三十本くらいは収穫が見込めたはずだった。息子は高校生だが、家の近くに畑を借りて友達と一緒に畑をやっている。将来は野菜を作りたいと農業系の学校へ進むと決めている。畑は趣味であり、未来へ向けた実験かつ腕慣らしである。
 被害はトウモロコシにとどまらず、ジャガイモもサツマイモも、イノシシにやられ、予定を早めて慌てて掘った。サツマイモにはイノシシの牙のあとがはっきり残っていたものもあり、それは傷の部分をきれいに削いでふかして食べた。悔しいが、イノシシの喰い残しが一番美味かった。
 私はそんなに田舎に暮らしているつもりはない。仮にも県庁所在地の市内なのだ。庭がカモシカの散歩コースになったり、隣の胡桃林でカラスが子育てしたりしているが、まあそんなに田舎じゃないと思っていたのだ。けれども認識を改めねばならないかもしれない。
裏の公園に「クマ出没注意」の看板が立ち、目撃情報が回覧板で回ってくるのは毎度のことでも、出くわしたことなどないし、遠目に見たこともない。危機感なんてこれっぽっちもなかった。それが今年は全国ニュースでクマ捕獲作戦が流れた。映像をご覧になった方もいらっしゃるだろうが、クマが走っていたのは車で五分とかからない近くの河原、クマが出たと罠を仕掛けた場所は家からちょっと下ったところで、子供たちが小さいころよく遊んだ公園だ。そこはしばらくKEEP OUT の黄色いテープが張られていた。
 さらに、すぐ裏の公園もイノシシ被害がひどい。芝生がまんべんなくボコボコに耕されたようになってしまった。ミミズを掘って食べるのだそうだ。一度、イノシシ狩りに猟友会が来たが、ヤツら賢いらしく成果はなかったらしい。
 ここまで獣の気配が濃くなって来ると、大丈夫なんだろうか、と不安になる。私たちが子供の頃とは風景も季節の流れ方もずいぶん変わってしまった。子供の子供が育つ頃にはどれだけ変わってしまうのだろう。それも地球という星の寿命で考えると、ほんのわずかな違いに過ぎないのかもしれないが。
 星と言えば、この夏、息子に「流星群見に行かない?」と誘われて見に行ったことがあった。ペルセウス座流星群。ちょいと裏の公園へビニールシートを敷いて寝転がった。間を置いていくつも星は流れた。たいていはすうっと銀の線を引くように消えていくが、たまに大きくオレンジに光るのもあって、見ごたえがあった。願い事がたくさん言えそうだった。実際は家族の幸せを願うくらいで、他には思いつかない。それでいいと思えた。欲にまみれた願いはふさわしくない。たくさん流れる星々に見た人それぞれが家族の幸せを願う。それで星の数は釣り合いが取れているのかもしれない。
流星群へ願いを束にする

            
 【海紅百年の謎・名前の由来】     中塚 唯人
 尾崎騾子先達の「一碧楼研究」では海紅創刊号の「箕の雫」の中で、「海紅は固と海棠科の植物木瓜(ボケ)の異名にして他に何の寓意もない」と書いてある。創刊号を開いてみると確かにそのとおりであるが「箕の雫」は四号連載されているが、これを書いたのは誰かと確かな名は出ていない。それに続いて「一碧楼研究」では「けだし、碧梧桐が根岸七十四番地の庭の一隅に咲く朱色の木瓜に出でた碧梧桐居『海紅堂』の名にちなんで命名したものとであろう」と記されている。
 長年私もそうだと信じて自署の「一碧楼物語」にもそのように書き写した。しかしその後も植物辞典や辞書ネットを調べても、ボケと海紅を結びつける確たる根拠が見当たらず、そのままになっていたが、去年の九月に東京の出光美術館へ「東洋・日本陶磁の至宝展」を見に行ったときに、中国景徳鎮窯で清の時代に作られた「桃花紅長頸瓶」に深い感慨をいだいた。それはピンクに、やや小豆色がかかった美しい壺であった。その色に興味をおぼえた私はふと説明書きを読むと、そこには名前にある「桃花紅(とうかこう)」とは「海棠」の花の色で別名「海紅」と説明があった。ここでハタとひらめいた。これぞ私が海紅の社主となって二十二年間陥ってしまった海紅の最大の謎を解く鍵ではないかと。そこでと海棠と海紅との関係の解読を試み、先ずは海棠の花からその関連性を求めたが、海棠からは海紅へとつながる痕跡はここでも見つからず、元来移り気な私は秘密の扉の前に立ちながら、そこから一歩踏み込まずにうっちゃっておいた。
 十一月のとある日にふと思い出して海棠からもう一度調べようと心も新たに挑むことにした。よくよくネットで調べてみると海棠には「花海棠」と「実海棠」(紅色の小さなリンゴのような実が付く)があり、海棠では手がかりは獲られなかったが、実海棠から調べて行くと何と、「海紅」とは「実海棠」の別名であるとに終いにたどり着いたのである。しからば木瓜と海棠はということになる。
日本国語大辞典精選版によると
【木 瓜】バラ科の落葉低木。中国原産で、日本では観賞用に庭などに植えられる。高さ一~二メートル。小枝にとげがある。葉は有柄、長楕円形または卵形で縁に細鋸歯(きょし)がある。四~五月に、径三センチメートルぐらいの五弁花が咲く。花は紅・淡紅・白色またはそれらの絞(しぼ)り。果実は卵形か球形で長さ約五ミリメートル。黄赤色に熟す。
【実海棠(みかいどう)】バラ科の落葉低木。高さ五メートルに達する。枝は細長く、葉は楕円形、新葉は綿毛をかぶる。春、淡紅色五弁の平開する美花を開き、カイドウ(ハナカイドウ)のように下垂しない。直径二センチメートル足らずの黄色の果を生じ食用。古くは単にカイドウと称した。ナガサキリンゴ。漢名、海紅・海棠梨。

 そして「植物名辞典」で調べると決定的なことには、「海紅」読み方―かいどう、ミカイドウの別称もあり、さらには「季語・季題辞典」には海棠の別称と書いてあるのだ。
 確かに枝に刺のありなしや大小などの違いはあるが、どちらも淡紅色五弁の花が咲き、黄色の実を付ける、つまりは海紅は実海棠の漢名であり、木瓜の異名ではないのである。まさか木瓜と海棠を見間違えるような俳人はいないであろうが、木瓜の異名を海紅とどこでどう取り違えたのかは闇の中であるが、碧梧桐先生がそう言うのであれば碧先生の博学を知る海紅人には異議を挟む勇気ある者はいなかったのではないか。そしてそれはいつしか海紅伝説となったのではあるまいか。どうしても私には、海紅から木瓜へ、木瓜から海紅へ繋がるルートは見つけられなかった原因は、海棠いや実海棠を出発点としなければ永久にこの難問は解けなく、正体見れば枯れ尾花と言ったところだろう。
 さあどうしよう。従来の「海紅は木瓜の異名」という碧梧桐説の根拠を導き出してくれる人が今後現れなければ、これまで頑なに信じていたその説は百年経った今、幻となってしまうのである。これを「一碧楼研究」の著者の尾崎騾子先達の聞き違いで処理してしまうのはあまりにもご無体なことだし、海紅伝説は伝説として残すべきかとも思うが、真実を問いたくても、もう語る人もいないのである。