新春譜

新年号恒例の「新春譜」です。題材自由、海紅同人ならば誰でも投稿できます。各地の出来事をお楽しみください。今回が今年度の第六回目です。

  会えなくなってしまった人へ      杉本ゆきこ
 私はあと一ヶ月足らずで五十七歳になる。本当についこないだまでは、三十代で四十代だったような気になる。でも時は過ぎ去ってしまった。
 私は、不器用な人間で失敗だらけで、沢山の人に迷惑をかけてきた。人付き合いも余り上手くなかったから、友人も少ない。その友人には、会えなくなってしまった人がいる。今思うと発端はくだらない事で始り誤解が生じ相手を怒らせてしまったのだと思う。誤っても許して貰えなかった。そんな古傷を時々思い出し、胸が痛くなったり夢の中にその人が登場することもある。「仕方ないよ。忘れなよ」と自分に言い聞かせる。
 後は会えなくなったのは、付き合った男の人だが、会いたいと思うより、「おばあさんになるまでに会えたら会ってみたいけど、痩せないと会えない」って思うだけで、そんなに胸が痛くなることはない。ユーミンの歌の『ディステニィ』や『よそゆき顔で』『静かなまぼろし』が、まさに代弁してくれている。
 最後に、本当に会えなくなった人は、亡くなってしまった人だ。会いたくて会いたくてと心から願っても会えない。母、祖父母、叔父、叔母、恩師、友人は違う世界に住んでいる。
 夜、寝る前に時々、無性に母に会いたくなるが、叶わない気持ちで胸が苦しくなる。そんな時は、眠る。きっと朝が来れば、いつもの自分になれるから。
 五十七歳、母が亡くなった歳である。母が死んだのは、私が二十六歳の時だった。それからの長い時間が過ぎたが、母がずっと守ってくれたと痛感する。母の死から暫くした後、私は哀しみから立ち直れなかった。そんな時、大変母も私もお世話になっていた近所のKさんが、私を昼食に招待してくれた。Kさんはとてもモダンなお宅にお住まいになりセンスのいい方で当時、六十代前半のご婦人だった。その時に作っていただき一緒に食べたものは、海老と野菜の天ぷらとお素麺だったかと思う。母も好きだったものなので、私がそのことを告げるとKさんは、母の死に触れず優しい口調で『お母さんも海老の天ぷら好きだったね。ゆきちゃん(私の愛称)母の祈りはどんな時もあって、それを感じることが不思議とあるのよ』とおっしゃって、その後Kさんも二十ぐらいで母を亡くされたことを話された。またKさんはお嬢さんが二人いたのだが、長女のお嬢さんは大学生の時に亡くされていたのだった。それを機にクリスチャンになられ、母はKさんの紹介で教会に行くようになり、洗礼を受けていた。私は、Kさんのこの言葉を支えにして、今日まで生きてこれたのだと思う。母の祈りがあったから、辛い苦しい時も乗り越えられたのだと思う。
 今の私は、仕事をすることができている。月に何回か八十九歳の父と息子と食事ができる。息子がたまに電話をしてくれる。気の会う友人と出かけてお酒を飲んで語らうことができる。好きな音楽を聞き、たまには美術館に行き絵と句を嗜む。日常は忙しく時間に追われているが、生徒たちとゲラゲラ笑う。美術の時間は、彼らが絵を描いたり何かを創作したりする姿に励まされる。私が、声をかけると正直な嘘のない声で答えてくれる。生徒たちも私に気軽に話しかけてくれる、私は言葉を選び言葉を返す。
 それが、私の生きる力になり、幸福な時間である。会えなくなった母にこのことを伝えたい。どんな時も祈り続けてくれた母に伝えたい。祖父母、叔父、叔母、恩師、友人の会えなくなった人にも、こんな風に生きてきたし生きていると伝えたい。
 今日は休日だから、二匹の愛犬と秋の穏やかな海岸に散歩に出かけた。海に向かって祈るように唱えた。
 「心の中にいる会えないあなたたちへ、もうすぐ誕生日が来ます。自分を信じて生きていきます」と。
 今、Kさんは次女の娘さんと一緒に住まれていて九十歳を過ぎていらっしゃる。
 近々会いに行きたいと思っている。