自由律俳句への手引き 中塚唯人
この命題は令和六年一月の玉島での『一碧楼展』で、自由律俳句をまったく知らない人のために書いた小雑誌です。また五月に東京で開催された『文学フリマ』でも無料で配ったものです。
以前にこの会場で自由律俳句とはと聞かれたときに、きちっと答えられる人が自由律人にもほとんどいなかったのです。精神論やこうしてはいけないとかこうすればいいとか、知ったかぶりの持論を吹聴する人はいても、自由律俳句が何故生まれたのか、自由律俳句の必然性は、あるいは他の短詩系文学とはどう違うかなどを理解せずに、我が文学論をひけらかすのみです。
結論から申し上げるとそのような文学論は自由律俳句にはそれをやる人の数だけあるのです。つまりはそれを自分で作り出すのが自由律俳句と言ってもいいでしょう。
海紅人でも理論を振りかざす人はいても、それをきちんと理解して話せる人はまずお目にかかったことはありません。私に言わせればそれこそ自分の未熟さを隠すための方便としか思えません。なにしろ中塚一碧楼は『自選俳句』と言うことしか言葉で表しておらず、個性の尊重を一番大事にしていたからです。私も自由律俳句を目指す人に最低限知ってもらいたいこと、言い換えればここだけを掴んで貰い、後は自信を持って自分自身の句を作っていただきたいと申し上げます。
◎自由律俳句へのお誘い
定型俳句界で永らく大御所と謳われた故金子兜太氏はこう言いました。尾崎放哉句の
墓のうらに廻る
咳をしても一人
を取り上げ
墓の/うらに/廻る
咳を/しても/一人
と三節に分かれ、字数は三・三・三ながらもこれは五・七・五の字足らず(字余り)で定型の変形である、と言う主張ですね。だから自由律は定型の鬼っ子だと。やや説得力はありますが、これこそ訳の分からない理論で煙に巻いてしまおうとする最たるものですね。ただしここで自由律人は黙ってしまった、残念なことですがこれが現状です。
先ず、当然ながら放哉は三節を意識して作ったのではなく、いわんや指を折り五・七・五と数えたものでもなく、発想自体が形式に囚われない自由律俳句であったわけです。
次にこの句は
墓のうらに/廻る
で切れ、私としては
墓の/うらに廻る
むしろ後の方でで切るべきと思います。 すなわちこれは三節で区切るのではなく二節で読むべきで、二節、単に二つに分かれるというのではなく、一句の中に二つの違う文体を仕立てて組み合わせる「二句一章」と言う自由律の特徴的な形なのです。もちろん定型の中でも二句一章、一句一章はありますが自由律句の最大の特徴はここにあるのです。そして自由律はそれを五/七/五とか五/七/七に捕われず自由に表現することで、三節に区切って読むのを意識して作る定型句と同一視するのは、全く無意味と言うことです。
咳をしても/一人
咳を/しても一人
この句も然りです。この/のところにキレがあり屈折がある、その深い意味を読みとるのが自由律の醍醐味と言うべき読みかたです。
それでは別の視点で例句を思い浮かべてみます。私の定型で好きな飯田龍太氏の代表作と言えば
一月の川一月の谷の中
ですね。これを五七五の三節と区切るとすれば
一月の/川一月の/谷の中
となります。これは無理でしょう。素直に
一月の川/一月の谷の中
と読むべきで、すなわちこの句は二句一章、二節で読む自由律句なのです。本人も自解の中で「強いて云えば、表現に類型がなかったことか」と評しています。すなわち龍太の一番のこの有名な句は自由律俳句なのです。これをして三節で読めと言うのは土台こじつけで無理な話です。私はここで「定型俳句」がいいか「自由律俳句」がいいのかの比較論を言いたいのではありません。どちらでも本人の好きな方を選べばよく、ご自分の心情にぴったりな表現方法を選べば良いと言いたいのです。
◎自由律俳句とは何か
これは難しい設問です。定型の場合、五七五の十七文字で季語を入れるという形式があるので、「桜で一句詠んでご覧なさい」と言えば、俳句らしきものは直ぐに出来ます。ところが「形式に一切とらわれずに自由に」と言うと、さあ困ってしまいます。元来、自由とは簡単に言えば何でもありなのですが、それでは何処から何処までが自由の範疇なのかの判断が非常に難しいのです。
二つ目の原因は、自由律俳句が生まれ出でた歴史的経緯が理解できていないからなのです。
これらの理由を知るために、自由律俳句の生みの親である『海紅』の始祖でもある中塚一碧樓の俳句歴史の変遷を追いながら、紹介して行きたいと思います。
そもそもは自由律と言われるくらいですから、根本的には何でもありの「自由」でなければいけないのです。そこをこうしろとかこうしてはいけない言うこと自体が、すべて不自由律を産み出すことになり、特に自由律俳句に精神論を吹き込んだもの、小難しい訳の分からない理論などをひけらかすものは、読んでも混乱するだけで時間の無駄と思いますと、ここから話は始まります。
端的に言えば「自由律俳句論」は作者の数だけあり、自らの手で作り上げるというものです。ただし自由律の「自由」は己(作者)だけにあるのでなく、読者を含めすべての人に平等にあることを理解せずに持論を語るのは独りよがりの「自由」を冒涜するものであると思って下さい。
またその歴史を知らずに累々と語るのももってのほかで、なぜ自由律俳句が生まれたのかの必然性、どのように産み出されたかの経緯など、歴史的考察がなされなく、ただの方法論、いわゆるHOW TO本を求めても無理と言うことを知って欲しいのです。それは繰り返して言えば自分の自由律俳句を創造できていないことです。
自由律俳句の起源は海紅の始祖の中塚一碧樓が産み出したのが現代では正論となっています。荻原井泉水というこれまた偉い先生はこれを「自由律俳句」と名付けて、世に知らしめた偉人ではありますが、産み出したのは一碧樓ということは先ずはっきりと覚えて下さい。
つづく