万華鏡Ⅲ

鬼貫というひと その4    中塚 唯人

【鬼貫伝】

前回で鬼貫の見出した『平常心の心』こそ彼の言う「まことの外に俳諧はなし」と述べました。一碧樓はこれを「二百何年か前に伊丹の上島鬼貫は厳然として『まことの外に俳諧なし』と言い放っています。
 「これは随分古めかしい言いぶりであり、随分広く知られている言葉でもあるが今もいきいきとしている至言であって僕たちの心持も突きつめた所この鬼貫の一言に尽くされているような心持がするのである」
 と一碧樓は述べています。これは一碧樓にとっても俳句に於ける最終境地ではないでしょうか。ただしこの「まこと」に対しては明確には一碧樓本人により語られてはいません。しかしそのヒントは残されています。それはたとうるならば、赤子が花を見て、あるいは夕方に子供が外へ出て星を見つけ『きれい』と言う気持」、これが一碧樓のまことだと言えましょう。

海紅創刊号の「選の後に」では 「私は句の本質において今少しハートからハートへ響く様なものがありたいと思います。私とてもヘッドと言うものを全然問題外にするのではないが、あまりに味の無い、作り上げた様な句の多いことに失望した」として 「ヘッドのものではなくハートからのもので流れてくる詩のおもい」と言っています。決して頭で作り上げた句を否定しているのではありません。それは鬼貫の「まこと」と同じく、「自己の体内から自然と生まれ出でたおもい」、それを「詩のおもい」と言っているのだと思います。言い換えれば「発見」であり「心の動き」とでもいえましょうか。これを感得するのは達人の境地でなければ到達できるものでは無く、一碧樓の生涯を通じて辿り着いた最高の句境だと思います。一碧樓自身もそれを精神論や教義のようなものとして残してはいません。各「海紅人」が己自身で己自身の境地に達せよと言うことに外ならないと思います。自由律俳句に於いて革新=自己変革は生命線であり、そこに於いては決して定型に劣ってはならないのです。しかしそれが何なのかを今一度真剣に考えてみて下さい。それが自由律俳句復権の一つの道しるべになると私は思います。※参考文献『上島鬼貫』坪内稔典(神戸新聞総合出版センター)・『鬼貫句選・独ごと』(岩波文庫)、『鬼貫の「独ごと』復本一郎(講談社)を参考にさせて貰いました。                      完