海紅文庫

現在、一碧楼句集「冬海」中塚檀句集「黄土高原」をPDF化しました。これに「一碧楼物語」があります。 今後も単価はなるべく抑えて、誰でも自由律文献が、スマホやタブレットそしてパソコンで、どこでも手軽に読めるようにしたいと思っています。下記三冊「お問い合わせ」から申し込みいただけます。現在これら句集等は電子書籍化しております。現在はKindle版「一碧楼物語上巻」が刊行されましたが近々「一碧楼句集・冬海」が刊行予定です。

1.中塚一碧楼物語・前巻-中塚唯人著  
「これを読めば自由律俳句の全てが分かる、いや読まなければ自由律俳句はわからないと言っても過言ではありません。そしては学術書でも研究書でもありません。誰にでも読んで頂けるよう書きました。
一碧楼の俳句との出会いから、兵庫県城崎に於いて憧れの河東碧梧桐との邂逅。碧梧桐の天才中塚一碧楼の発見、そこから始まる本格的な俳句へ新たなる旅立ち。そして碧梧桐の強烈な選句と添削への反発からの離反。選者制を強烈に批判し、個性を尊重する自選を主張した「自選俳句」の刊行。続いて「季語」や「17字定型」を無視し、外国語や句読点・括弧・ルビ・感嘆符までも使用し、口語表現も登場する「試作」の発刊。それらの結論として思うがままに自由に書くという、自由律宣言を標榜する「第一作」へと続きます。
この時代に自由律俳句がどうしても生まれなければ行かなかった必然性、いや何故自由律でなけれればいけなかったのかがよくわかります。

2.「冬海・一碧楼全句集」 (近日中刊行予定)
「海紅」とはのコーナーでご紹介している一碧楼全句集です。初期の新傾向俳句から絶句まで網羅しています。一碧楼俳句を読むならこの一冊です。自由律句とはなんなのか、一碧楼の中でどう変遷していったか、この句集を読めばすべてが解ります。
 まず現在も未来も市販はされません。

3.「碧梧桐句集」(近日刊行予定)
常に時代の先を読んで実践した碧梧桐を再評価せずに近代俳句は語れません。定型俳句からから新傾向俳句、そして自由律俳句、さらにルビ俳句から短詩へと常に革新を遂げます。それこそが碧梧桐の人生です。晩年にルビ俳句に進み、その難解さがまるでこれまでの俳句をぶち毀した異端者の如く、そのことだけをことさら取りあげ、それまでに碧梧桐の残したすべての功績を見失っているのです。端的に高浜虚子は商人で碧梧桐は書生だと言う人もいます。そこには俳句に対して碧梧桐は余りにも探究心が深く、革新的で、求道者的で、誰も認めず同調するものがいなくとも、己だけでも俳句の文学性を高め、信じる道を押し進むという姿が他の人を寄せ付けない孤高の人、尊厳に満ちた独善家であるかのように作り上げ、その努力を惜しみ従来の俳句の世界に安穏としていた人たちは、碧梧桐を敗者と決めつけて自分たちの地位を守ることに専念しなければならなかったのです。
正当な碧梧桐の評価、これがこの本の目的です。

4. 海紅二代目社主、中塚檀句集「黄土高原」近日刊行予定
一碧楼俳句を現代に引き継ぐ真の継承者、現代人が読まなければならない自由律俳句句集に今後取りかかります。

   日野 百草
黄土高原  妻の句を詠むことは難しい。
普通は恥ずかしいですし、世間的に言ったら笑われる類です。
しかし放哉や夢道には妻を詠んだよい句があります。私も目指している句題のひとつです。そして私は『黄土高原』に出会い、放哉や夢道に並ぶ素晴らしい妻の句を詠む俳人に出会いました。
それが海紅前社主、中塚檀です。(以下、海紅の一員として敬称は略させて頂きます)
もっと早くに詠めていたらという思いと同時に、今でよかった、とも思います。

 檀句はうっかりすると私の句作に悪く影響してしまうほどの切れ味です。とくに昭和末期から平成にかけての切れ味は素晴らしく、
 
   木瓜かすかに芽吹き妻に云う言葉を探す 
   あきかぜ妻の自転車ねじれて置かれ

 

 これは自由律のみならず、詩的にも非常に優れている句だと私は思います。
 また私は常日頃、妻以上に犬というのは愛おしい方向で詠むのが難しいと思い悩むことがあったのですが、これも檀句においては、
 
   死期を知る犬のひとみ春一番が吹く 
   犬の屍白い布から顔が見えもうはざくら
 
  正直、悔しいほどです。私も昨年、愛犬を亡くしたのですが、
 犬の死という事態を、愛おしさを素直に表現する方向で読めないのです。
 ただ陳腐になるか、「私ごと」に体よくごまかして詠む方向でしか浮かばない。
 ですから人様に表出しする句としてはひとつも詠んでいなかったのですが、中塚檀は詠めている。
 
  また詠めぬものといえばサラリーマン生活もそうです。これまたどこか陳腐になるか、有り体な川柳もどきになるか、
 ステレオタイプな悲哀になる。難しい。しかし、
 
   青葉には遠い机だから女子行員の小さい欠伸
 
 素晴らしい。今だからこそ素晴らしい。あの高度成長期から安定期に入った、日本のどこかのどかな労働風景が微笑ましく伺えます。
 ある意味、これも労働句と言えましょう。イカリ肩でない、優しい労働句です。
 そして今だからこそ、というのは、現代に残ったということです。
 現代人の私の琴線に触れた、残った。
 
   中塚檀は今後、いや現代だからこそ再評価されるべき俳人だと思います。
   檀句は平易で、それでいてキレがあり、現代人に、高度成長期を経験した人々に訴えかける、優しき良句ばかりだと思います。
 『黄土高原』にはそのすべてが詰まっていました。
 ご縁をありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

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