各地俳況2

海紅社句会レポート      中塚 唯人

 暑さも厳しき折、少々夏バテ気味でもあり今月はお休みしようと思っていたところに二人の若者がやってきた。
 やる気のあるものの前では弱気の虫も封じ、三人の句座を始めました。

先ずはシンくんの二句
広場は音楽みな右脚から踊る
 この句は私には時節柄盆踊りの句だと思った。作者はそこまで特定はしていなく、広場での踊りを見てまるでロボットのように画一化され踊っている様に異様な思いを持ったようだ。ただここは具体化をし「音楽」を「盆踊り」とか「炭坑節」とか鮮明に画像化するのも一手と思う。

泣き虫の眼鏡に空
 海紅調のセオリーには「上にあるものは句の上に置け」というのがある。これは目線の動きに起因するもので、空とか雲、これは上にあるものだから目線は先ずは上を向く。そして段々と漠然とした大きなものから目線を下げてくるとその対象物に集中され、そのものをより印象深く見せることが出来るということだ。言い換えれば遠近法の効用ともいえる。だからといって馬鹿の一つ覚えみたいに盲信しても困りもの。逆もまた真でこの句のように、下から上に、眼鏡から上にある大きな空へ目線が上がると、すなわち視野が広がり未来や希望へと想像を膨らませることが出来る。若いシンくんが意識していたかは別としてこういうセオリーを身につけていたとは感心したことだ。

次はこうくんの句
麦わら帽あみ目ひとつひとつ夏綻ぶ
 晩夏をこう詠んだこの句にも驚かされた。この句には一つも「てにをは」がない。昔から俳句を始めたら当たり前につく助詞は、すべてまずは外してみよと言われたものだ。そしてどうしても取れないものだけ残せと。それをすでに会得しているのは見事と思う。

郷くだる都会の電車都会の顔をして
 この句の場合「都会の」重ねがどうか思われる。「さとくだる」とあるからはじめの都会は無くても良いのかと。
それよりも私は「郷くだる」といったところに手を付けてみたい。

最後に私の句
汗したたらせ西瓜かぶりつく夏の心意気
 最近私は長律句こそ自由律の独壇場だと思う。碧梧桐や一碧楼の長律句に憧れるからだ。
 この句も一見平凡なようだが、昭和の男の意地でもある。私の子供の頃は、縁側に腰掛け、西瓜にかぶりつき、種を庭にぺっぺっと吐き出し食べたものだ。それを今では冷房の効いた部屋で、切り分けた西瓜をスプーンで種を取りながら食べている。お互い言い分はあろうが、世の中軟弱になっているのは確かである。
 ただし「夏」は季重ねになるので「男の」としたい。

蝉が灼熱地獄に酌みする
 この句は「与(くみ)する」を「酌みする」とパソコンを打つ時に変換ミスしてしまった。しかし「酌みする」も面白く、「与」は一碧楼の句を知らないと読めないであろうから
蝉が灼熱地獄と盃かわす
としてみようかと思う。

 とにもかくにも海紅社句会は巧く作ろうとか、テクニックを学ぼうとか流行や小手先にこだわる技術は二の次にして、一碧楼の言う「ハートからハートに響く句」、これを大事にしたい。そして常々句会で言っていることを確実に身につけてきている若者に喜びを覚えた。海紅調とか言われるが、その古き良きものに拘ることだけでなく、時代と共に生きる新しい感覚がプラスされてくれば、さらに海紅句は大きく飛躍するに違いない。