寄稿万華鏡2

  九月俳三昧纏め                                    若木はるか

 電線田んぼ稲刈りはまだ        マヒト
【句評】
・一切鳥の語を出さず、秋の光景を匂わせるのは流石。
・余計な言葉や助詞を使わず、言葉を並べるだけで詩を感じさせる手法。その場合リズミカルで実感の有る言葉の選択が句の命になる。風景と言うより音楽に近い句。
・選んでいる言葉が的確で心地良い。
・電線→田んぼの視線の角度が景の広がりを感じさせるているのが面白い。欲張ってもう一歩手前まで来てもいい。
【作者から】
言葉の順番はご指摘のように遠くから近くに。あれこれ考えたが、自分としてはこれが一番かと。

 むしむし二百十日ざんしょ       耕 司
【句評】
・二百十日も残暑も秋の季語。有季定型では季重なりで、どちらかの季語に強弱をつけるが、自由律ではそれを無視(そのような縛りからの解脱)することもできる。
・ひらがなにすることによって「二百十日」が活きるし、ダブルミーニングも分かりやすくなる。
・おまじないみたい。日本語の遊びがあって楽しい。
・わらべうたみたいな感じもする。毬つき唄とか、マザーグースみたいなものに近い感じを受けた。
【作者から】
昔からある言葉なのに、使われなくなってしまう言葉がある。何とも哀しく、残念で、知る限りの言葉はどんどん使おうと思う。私の役割の一つかもしれない。むしむしは、虫、蒸し、無視で、ざんしょは、こういう使い方で洒落っぽくやるのが好きなんだよな。

 幾万年の岩肌削る相合傘は永遠どころか明日別れちまえ
                    すすむ
【句評】
・作者は鋭い短律句を詠むが、今回は憤りを意図的に長律で表現しようと試みているのでは。

・長さだけを感じてしまう。作者の心持が上手く伝わってこない。長さを感じさせないような工夫を。
・「とっくに別れてる」ぐらいでもいいのかな?
・「永遠どころか」を取る方がよりエッジが立つ。その場合「即刻別れちまえ」とか「明日」を別の言葉にしては。
・岩肌を削られた痛みとかに焦点を当ててもいいかも。
・行為の重大さを強調し「岩肌の幾万年削る」としては。
【作者から】

長律句の難しさを思い知った。語数が増えることで感情が乗る分、詩情が減ってしまう気がしている。ただ、最近は長律が少ないようなので、これからも意識的に「詩情のある長律句」に挑戦していきたい。

 長い髪ささやく嘘はもう秋です     吉 明
【句評】
・「長い髪ささやくもう嘘は秋です」みたいな行き方も。
・噓は秋の季語ではと思うぐらいしっくり来る。
・「もう秋です」が軽い。心情に迫るものが欲しい。
・儚げで綺麗な女性の内面にどことなく怖さがある。「ささやく」にも関わらず、顔が見えないからか。
・「もう」は整理できるのでは。
・助詞が無いため「長い髪(が)ささやく/嘘はもう秋です」と読んでいた。「長い髪/ささやく嘘は/もう秋です」の切れであれば、動かしようがなかった。「ささやく秋は/もう嘘です」では句意が違ってしまう。人生の秋、深まる。そんな作者の想いを遠からず共感できる齢になってきている気がした。
【作者から】
長い髪はテーマというより体験して来た事すべての幻影。ささやく嘘もその嘘の中にこそ見え隠れする本心も、何もかもが虚々実々、嘘と真実に弄ばれ、自分の季節も秋すでに深くもう冬に向かっている。

 海が奔放になるもう九月        ゆきこ
【句評】
・この季節の海の雰囲気を奔放という一語で巧く切り取っている。「になる」がない方が「もう」が生きるのでは。

・九月には全てが変わる期待と、全てが変わってしまう喪失感がある。奔放になるのはゆきこさん自身?
・「毎日同じ物を見続けてその変化を句にしろ」と言われたことがある。「奔放」という言葉選びに海という対象を常に見続けているからこその表現があると感じた。
・「奔放」という発見が収穫。「九月」や「奔放」を頭に持ってきても面白いかも。
【作者から】
愛犬の散歩でよく行く近くの海。この句を詠んだ時は、台風のため四、五日ぶりだった。夏の間は、青濃く波を規則正しく寄せて返していたが、久し振りに見る海は、色の彩度を落とし、波は規則などなく思いのままに刻んでいるようで、それを奔放と表現した。そうか、もう九月だもの、と気づいた。そんな海に憧れもあり、自分も自由でありたいという句。

 然り、一足の風、晩夏         こ う
【句評】
・漢詩の読み下し文のような響きで風韻がある。節ごとの読点は徹底して助詞を省き詩の余白を生もうと意識して置かれている。攻めの句姿が気持ちいい。二節目の一足の風を、風一足としてみるのも一興。

・実験的に使われた読点なのだろうから、何度もやってみるべきなんだろう。結句の晩夏が「つきすぎ」の感じがする。頭に持ってきてはどうか。
・侍の言葉のよう。作者の独自な世界観を感じた
・最初の句点は上手くいっていると思う。二つ目は改行など他の選択肢もあったのではないか。
・句姿がカッコイイ。でも、言いたいことはわかりづらいかな。特に「一足の風」が。
・「然り」(静止)→「一足の風」(動作)→「晩夏」の語順がさらっとした重みを感じさせ、晩夏に相応しい。力強い和の風景のイメージが浮かんだ。
・「一足の風」をどう作るか。「ひとひらの風」「一息の風」など考えてみたが、弱い響きでは漢文調の硬質な構成に負けてしまう。硬質な響きで、しかも伝わりやすい言葉を探すのは難しいが、そこをクリアできれば成功と言えるのでは。とても実験的、挑戦的で面白かった
【作者から】
 本来は「一陣の風」。紋切り型であること、実際は一陣の風よりももっと弱い風だったことから、いっそ造語にしてしまおうかと。たかだか一足程度の風という意味で造ってみた。まだまだ自分の句風が確立できていないので、これからも色々な方向を追求してみたい。

 不倫だのミサイルだの秋の夜が長い   通 子
【句評】
・「の」のリズムに夜の長い様子が表れている。
・ミサイルと不倫が同レベルで扱われている不思議さ。
・「だの」を重ねるテンポで呆れた感じがよく出ている。ただ不倫とミサイルを一緒に読む句を最近、立て続けに見たのであまり目新しさを感じなかった。
・世間話っぽい響きが軽快で、時事句と季語の取り合わせをさっくり仕上げている。しつこくないところが良い。
【作者から】
 テレビで不倫も北朝鮮の問題も同じように取り上げているのに驚いた。不倫はプライバシー、余計なお世話と思ったが、Jアラートがなり、安全な所で頭を隠して避難せよとのこと。ミサイルが落ちたらそんなので助かるわけないと、腹立たしいのは同じだった。

 見つめられコオロギ鳴けず       由 紀
【句評】
・秋の虫は鳴き声だけで、姿は見せない。そんな蟋蟀が見つめられたら鳴けないなんて、パラドックスだ。
・ユーモアと同時にそこはかとない哀愁を感じた。コオロギの不格好さが自分自身と重なったからか。
・実景と言うよりも、見つめられて思うように話せない恋愛の句と読んだ。「鳴かず」ではなく「鳴けず」と仮名一文字でコオロギ側の視点・心象としているのが上手い。
・山口誓子の「蟋蟀が深き地中を覗き込む」を思い起こした。蟋蟀は自分の内面に向かわせる句材なのかも?
【作者から】
帰省したときのこと、家にコオロギが侵入。実家の猫が興味津々にコオロギを見つめ、今にも狩ろうとする体勢を取ると、コオロギは一切鳴かずひたすら存在を消していた。鳴くイメージの強いコオロギが鳴かないことに生き物の姿を見た気がした。視線のプレッシャーに共感していたのかもしれないと評で気づかされた。

 乾いた風が雲を秋へ押す        聡
【句評】
・色彩の平面を様々に組み合わせる色面構成の様な言葉の詩的デザイン性を感じさせる。
・この季節の風を乾いたと感じたのはどういう状況だったのか。もう少しこまかく言ってもいいのでは。
・「空間と時間」を同時に捉えた感覚が好みです。
・「~が~を~へ~する」とても美しい日本語で惚れ惚れした。かつ鮮やかな詩情を感じる。静謐な色使いも巧い。
・助詞を三つ並べたのは意図的なのか?と気になった。
【作者から】
秋への予兆をハッと感じるのは「ああ、いつの間にか風がサラッとしてる」と気づいたとき。助詞の配置は意図的だが、満足はしていない。現状これで精いっぱいというのが正直なところ。

 蝉よいっそのこと轟音         はるか
【句評】
・蝉の最期をどう詠むのか。個々人ごとに様々な解釈があって面白い。いっそ散るなら最後は派手に散りたいという思いなのか。夏の終わりの切なる思いを感じる。
・いっそ轟音で泣いてくれという、作者の心境の理由が見えず、自分には難しかった。
・夏も終わるんだからどうせ鳴くなら思い切り鳴けというエールと取った。蝉だけでなくきっと夏にやり残した事を持つ人達にも向けているのだろう。
【作者から】
蝉の鳴き声は強ければ強いほど、逆にしぃんと無音に近づいていくような、不思議な気分になるのだが、今年はその感覚が弱い気がした。何だかそれが淋しくて。どうせならすべて塗り潰すくらいの轟音で鳴いて欲しいと思ったのを句にしてみた。