寄稿万華鏡2

【秋田かも川吟社奇人伝(一)】      紺 良造 
 昭和の昔、俳句は一部の富豪者の間で親しまれており、一般庶民には無縁なものであった。つまり当時の俳人の殆どは暮らしも裕福であったため、俗人離れの言動をする人が多く居て、奇人、あるいは変人と言われていたようである。
 秋田角舘の「かも川吟社」にも、渡部冬三、西村薇山、陶胡州などが、奇人呼ばわりされていた。特に渡部冬三はその最たる者で、角舘町の三奇人の一人として、その名を馳せた人である。
渡部冬三(孝順)は角舘町の名刹曹洞宗万年山松庵寺の第三十世住職として、秋田藩主佐竹家菩提寺である天徳寺から迎えられ、時代絵巻そのものの僧衣を纏った同宗派の僧侶の一団や可憐な稚児達など、二百名を越える絢爛豪華な晋山式の行列は今でも町民の語り種になっている。

 松庵寺は秋田蘭画の祖、解体新書の挿絵で知られる小田野直武の菩提寺で境内に徳富蘇峰の筆による顕彰碑が建立されている。
 冬三は海紅にその名を止める著名俳人で、駒沢大学在学中、一碧楼師に度々電報で呼び出され、現社主唯人さんの厳父檀師の子守を仰せ使ったと聞いている。
 奇人と呼ばれた冬三は、長身痩躯、分厚い眼鏡をかけて町内をひょうひょうと出歩き、家人不在の檀家に上がり込み、仏壇の菓子や果物など供物を頂戴し、学校帰りの子供達や高校生達に分け与えたと言われている。
 また、町内仏教会恒例行事の、寒修行托鉢に参加し、その僧列の殿を勤め、右手にウイスキーの小瓶を携え、左で鈴を振っていたという事でも有名である。

渡部冬三10句(昭和四十七年海紅同人句録句集より
 白い蝶一点の最上に日かげる天与の流れ
 山遠く川の長きに餌さがす鳥の執拗
 人ごみという言葉にふさわしひとごみ中の老女が単衣
 槐樹の風に偲ぶことあるらし鳴る風鈴
 男の狭量にかまいなく手鏡手にするおなご
 言われぬ事あり誰に花白く八ッ手かな
 雪国に高きは勿論樅の木もみ太し
 恋するなら新種の小菊にしよう雪となる
 木ささげは落実の時知らず雪ふる
 女のあせばむを欣ぶ低温鼻にかかる