寄稿万華鏡1

【句評ー七月号作品より】

                         梶原 由紀選
  足の裏につぼがある裏口を開ける       空 心 菜
 足裏の指圧を受けた時と読みました。つぼを刺激された時の感覚を「裏口を開ける」と表したことに感服いたしました。目立たない裏口から疲れや凝りを放出していく様子にリアリティがあります。爽やかな心持になりました。

  迷子になる言葉京都の街角          菅原 瓔子
 柔らかく婉曲な言い回しの京ことばと碁盤の目の京都の街並みとが、迷子に調和していて素晴らしいです。どちらもふとした時に捉えどころを見失ってしまいそうになります。京都特有の言葉遣いもまた、見知らぬ土地である感慨や旅情を際立たせると読ませていただきました。

  髭を剃り歯を磨き赤き薔薇          高橋  毅
 髭を剃ることや歯を磨くことは、日々の生活であり身だしなみを整える大切な作法でもあります。「剃り」「磨き」の韻が毎日の繰り返しの様子を高めており、生活の作法の積み重ねが八重咲の薔薇の美しい姿と重なります。日常を真摯に過ごす実感が詠まれています。

  時は来た国道渡るカタツムリ         本間かもせり
 果たしてカタツムリが国道を無事に渡れたのかというおかしみがあります。「時は来た」は橋本真也の名言でしょうか、大真面目に言い放った橋本真也と堂々と渡るかたつむりとが重なります。読者としてはハラハラする光景です。
  サンショウウオ生まれた池の底まで陽がとどく 若木はるか
 誕生の瞬間を的確に詠んでいます。「底まで陽がとどく」池はサンショウウオの暮らせる美しい水をたたえているのでしょう。日ではない「陽」の能動的な光は生命を擁し、誕生を祝福しているように映ります。喜びを余すことなく表現しています。

                    平林 吉明選
  シロスミレに赦されている          若木はるか
 句を作るのに閃きや思い付きも大切ですが、この句はそれだけで簡単に出来ているとは思いません。この二つの言葉の間を漂う作者の祈りや願いに句を作り続けてきた年月の重みや人生のようなものを感じます。推敲を重ねた末に選ばれた言葉に俳句をかじっただけでは容易に出来る事のない人間の深い思いや多くの思いが有り、ある次元に辿り着いた魅力を感じます。

  涼しい風と思ったら笑い声          笠原マヒト
 涼しい風の爽やかさと明るい笑い声との響き合い、この取り合わせが絶妙で心地よい音楽のハーモニーを聴いているような気がいたします。

 病院の個人情報叫び声             空 心 菜
 個人情報が必要以上に重く大切に扱われる時代の象徴のような句です。一口に個人情報と言ってもその裏には様々な人の様々な現実が蠢き、それにもみくしゃにされ、正に叫び声をあげている様に感じているのは、作者が抱えきれない程の現実の情報に埋め尽くされているからだと思います。

 チーズトーストの火傷程度にふしあわせ     村井  洲
 面白い表現ですが実にリアリティーのある句です。日常のちょっとした心の痛みを「チーズトーストの火傷」と言い表す作者の感性の鋭さと常に何かを感じようとアンテナを張り巡らせ俳句に身を投げかけ打ち込んでいる姿勢に頭が下がります。

  つつがなく老いて昭和の菖蒲風呂                      森川 チヤ
 日本語の美しさと優しさを改めて感じました。今ではめったに入ることのなくなった菖蒲風呂に浸かりながら誠実に生きてきた自分の人生を振り返り、何の悔いも持つことなく静かに充実した昭和の昔を思い出しているような味わい深い句です。

                     森 命選
  ○×△ペチャクチャ春は女の立ち話                      渥美ゆかり
 失礼ながら句意としては新鮮な気はしないが、この作者が○×△を用いられたことが驚きである。○×△は通訳すると、ペチャクチャで、繰り返しを表していると思う。大会の席で、若い人に刺激され句を作ると宣言された作者が、さっそくのお披露目。句作への挑戦と意気込みをみせてもらった。
  はつ夏の空からみかんの花の甘いかぜ        伊藤 三枝
 句作の工夫が見えた句。〝はつなつ〟は、細木原春海先生の〝はつなつの句〟以来、ひらがなを使うのが常套手段となってしまっていた。「初夏」は「はつなつ」と読むか、「しょか」と読むか、はたまた漢字にするか、ひらがなにするか、句作の折りには悩むものである。「はつ夏」これは、それを知りえている作者のお手柄である。そして後句もやわらかく感じる。

  さんまる遺跡は栗を植え食べ柱にすごい    折原 義司
 さんまる遺跡で栗の木の説明を受けた作者が、その理想的なサイクルに感銘を受け、人知の偉大さに発句的に、この句を詠まれたと思う。旅行吟でもあり、まとめすぎると、その感動が薄らぐこともあるだろうから、この句は、このままで良いと思う。しかし、時を置いて、この感動を整理したら、また構成の変化はあると思う。良い句材は作者にとって二度おいしいものになる。

  物流には迷惑かけます鹿島から旬の筍     都丸ゆきお
 誰もが利用する宅配便、その便利さが当たり前になってしまい、感謝の念を持っている人は、いるのだろうか。句は芸術だけにあらず、作者その人が読み取れてこそ句。作者は、宅配便にも届け先にも、筍にも、自らの心の眼差しをむけている。つまり、この句全体が作者なんだなと感じられる。ふと、良寛さんが今おられたら、こんな句を詠まれたのかなと思えた。

  みなとのメリー佇む闇夜交差点        平林 吉明
 この句を読んで一瞬私の前にキラメキが走った。もう二十年にもなるか? 「ふねのないみなと頬紅の狂女メリーうずくまる」の句が私にセンセーショナルを与えてくれたのは。とにかく驚きで、その後の私に句作を教えてくれた一句でもある。忘れることのできない句だった。再びメリーに会うことができたのは喜びである。句評にはならないけれど、とても嬉しい一句である。嗚呼、しかしこの句、ずっちいな。

                    田中 耕司選
  さぬきうどんにさそわれ走る竹のあき     大西  節
 何とも言えない懐かしさを感じている。私が句作を始めた頃には、五、六月ごろになると竹の秋って言葉が誌面にあふれていた。このような言葉が使われなくなっていくのは仕方のないことなのかもしれないが、なくなってほしくないと思う気持が私には残っている。それと、私には(横浜には)讃岐うどんに誘われるというようなものがないのも、一つのさびしさだと感じているのだ。
  躑躅黙す秘密結社              さいとうこう
 躑躅って漢字を書けるってことにまず感心した。つつじやサツキにうるさいって感じるのが普通だと思っている自分の感覚を時代錯誤というべきなのかもしれない。そして、秘密結社という言葉を持ってきてしまう大胆さは、もう年代の違いというだけでは片付けられないのだろう。このような作品が違和感なく受け入れられる海紅でありたいと願っているが、結構つらいものがあるな。

  飛行機雲なぜ迷いがないのだろう       本間かもせり
 やはり若い世代の作品。飛行機雲は、良く取り上げられるテーマだが迷いがないというアプローチははじめてだろう。飛行機雲に迷いがあるのか、ないのかは不明だが、作者は迷いがないと思っているのだろう。この思いきりが、我々の世代には(というか私には)もう出てこなくなってしまっている。この世代間の違いを容認します。

  電車の中みな下向いて指先よく動く      原  鈴子
 作者は、私と同じように下を向いて指を良く動かせない側なのだろう。だからこの風景に気づくのだ。本当に電車に乗っているとこんな人だらけで、そうできない私などはなんとも情けない気持にさせられる。スマホってやつをうまく使いこなせないと、なんだか人間としての扱いをしてもらえないような感じを持ってしまう。それでも、作者や私のような人間も必要なのだ。
  修学旅行の生徒上野公園濃いみどり      高橋  毅
 それほど頻繁に出かけているわけではないのだが、上野あたりに出掛けると必ず修学旅行の子たちがいるように感じている。私くらいの年代だと、修学旅行もシーズンが決まっていて、現在のようにいつも修学旅行に出くわしたりしなかったと思うのだが。これも現代の教育方法なのかと納得している。私の勝手な思い込みだが、彼らに楽しさってものがうすいような感じがするんだよな。

一碧楼「空山空也帖」より夏の一句
     「残暑の家の人々の筧也」