寄稿万華鏡1

【句評-十月号作品より】                                                                                                           梶原 由紀
 盆休みゆっくり爪を切る             杉本 ゆきこ
「ゆっくり」に魅力を感じました。日頃流れ作業で終わらせがちな動作であるからこそ、「ゆっくり」が活きています。丁寧に爪を切る動作は自身と向かい合うようであり、ご先祖様を顧みるというお盆の内省的な要素と重なって読めます。盆明けに向けて動き出す心意気も感じられる爽やかな句です。

 孫の背丈しみじみ列車のり継ぐ          原   鈴子
 のり継ぐ「間(ま)」に俳味があります。出会ってからの列車かあるいは帰りの列車でしょうか。いずれにしてもお孫さんの成長にじわりじわりと感動する様子が、乗り継ぐ一呼吸にリンクしています。背丈というその時点の感動とのり継ぐ日常性との対比も、感慨を高めています。

 葉が落ちるもう遮らなくていいんだ       本間 かもせり
 落葉の理由を「遮らなくていい」とあらわす着眼点に脱帽しました。暑さが和らぐことによる脱力感と葉の落ちる姿が調和しており、酷暑から解放される喜びを想起させます。枝越しに爽やかな空が浮かびます。

 夏の午後さするとキウイの皮           森   直弥
 文脈を以て解釈することは難しい句です。しかし題材の強烈さが大変魅力です。「夏の午後」から想起される蒸し暑さ、昼下がりの休憩、夏空と、「キウイの皮」から想起されるざらざらした歪な感触、熱を持った実の感触、甘味と酸味、温かみのあるイエローあるいはグリーンとが見事に調和します。感覚的な説得力に優れた句です。

 隣は泣いたり叱られたり親子の夏休み      伊藤  三枝
 賑やかな様子に夏休みのリアリティがあります。夏休みは親と過ごす時間が長くなり、長くなるほど叱られる回数が増えたものです。今思えば騒がしく過ごした夏休みも懐かしく尊いものです。ありありと浮かぶ情景に、これから生まれる郷愁を感じさせる句です。

                          平林  吉明選
スプーンがある八月二日午前三時二十五分    空 心 菜
 スプーンの存在と日付と時刻のみ、それ以外に何の感情も動作も情景も語っていないのに、スプーンを見つめている作者の置かれている状況や内面の葛藤が何となく浮かび上がってくるような不思議なリズムのある句です。
 よく読み手に解釈を委ねた句と云うような言い方をされますが、それとは違いこの句は唯これだけの被写体で十分に多くの事柄を濃密に語っています。

草に寝て広がる水としてのわたくし       田中  教平
 自分を水と感じる感覚は個性的でありながら普遍的でもあり生々しく伝わります。草に寝転がった自分の肉体が空に落ちてゆくようでもあり、大地に広がり水となってしみ込んでゆくようでもあり、肉体が自然に同化してゆくような感覚が心地よいです。

 銀座二丁目コピー機探し夕立          森  直弥
 突然夕立の降りだした夏の夕暮れの蒸し暑さの中、人々が慌ただしく動き回る銀座二丁目。コピー機の置いてある店を探す姿に焦りにも似た気持ちが良く表れています。都会の一齣の表情の中に作者自身の姿が端的に浮き出ています。

 穴を出た蟻はとり合えず天を見上げる      森川  チヤ
「とり合えず」に穴から出て来た蟻をズームレンズで捉えたようなリアルで的確な観察眼を感じました。天を見上げる蟻の姿がユーモラスで、まるで人間の姿に置き換えたようなパロディーさえも感じます。

 すみれがまだ咲くのですヨコハマからたより   院瀬見美登里
 このたよりは毛筆か万年筆で書かれているような温かさを感じます。美登里さんとヨコハマ、切っても切り離せない思い出の数々に人生を振り返っているような望郷の思いと今生きている実感が有ります。このたよりには可憐なすみれが咲いていて美登里さんのうれしい想いと重なり、おんぼりとした心持ちになります。                  

                                                                                 森  命選
  あこがれの毎日が日曜日することがない               宮川 侑子
ユーモアそのままの句。平和な国日本が直面していることである。働くことで生活のリズムをキープしていた熟年が望んでいた自由な時間がいざ手に入ると、喜びも長くはつづかない。器用な働きをしてきた人も、定年で職を離れると、不器用な生き方になる。全国の初老を代弁した句である。

 レタスちぎるとシャッターの音がした       熊谷  従子
瞬時を詠んだ句で爽快。しかも「シャッターの音」は小気味よい。「うむ、そうか」と、手を打ちたくなる。再読すると、このレタスきっと作者手作りのものと思える。「シャッターの音」は、今はアナログの世界だが一瞬を切り取る素晴らしい音である。

 アパートを回遊夏の背びれ            小早川すすむ
句を読む時、時々地域性によって句意を読み違える事がある。この句も町内会の世話役としてアパートを回っているようにとれるが、離れた友人のアパートを遊び回っているとも読める。句意は読み手に委ねるしかないもの。「回遊する夏の背びれ」は、透明感があり作者の気持ちが表されていて、前句をどちらに読んでも心情は届く。

 残したいもの少し秋の種まく           原   鈴子
「残したいもの少し」が共感を打つ。生活模様が大きく変わり、親、子、孫と受け継がれてきた価値観がぐっと変わった。都会でも地方でも同じである。すぐ使えない物、銭にならない物は、邪魔にされる。「秋の種まく」は、次世代に芽吹くものを願う作者の心情であろう。

 左右の表札を見て行くカトリヤンマ        吉村  紅鳥
 カトリヤンマとしたところ作者が老獪なのかなと思う。トンボは蚊を食べながら飛びますが、鬼ヤンマなどと違いカトリヤンマは暑い日中を避けて飛ぶ。作者は句作の時を、夕方に表現したのだと思う。そして、左右の表札を見て訪ね歩いているのは作者かも知れない。そのまま読んでも、違う目線で読んでも、ブレないおもしろさがある。

                    田中 耕司選
 とぼとぼと生きる気持ちになりました          空  心  菜
ある年齢になれば、こんな気持ちになるのだろう。そ
れでも納得できずに無理をしてしまうような者も多く居
るだろう。このような穏やかな気持ちで、誰もが日々を過ごせば、高速道路などで起きている事件事故など起きずに平穏に日々を過ごせるのだろう。

 くつ背広ネクタイそれと父のアルバム        平林 吉明
我々、句作をする者にとって肉親との別れをどう句作
するべきなのかは、誰にも訪れる大きな問題と言ってい
いのだろう。私にも経験があるが、その時は冷静なつも
りでも気ばかり先走ってしまい、上手い具合に自分の気
持ちを制御できなくなってしまう。作者は、長年の経験
でその問題をクリアし、さりげなく悲しみを語っている。

 Tシャツに首をつっ込む終戦日             森川  チヤ
 もしかしたらこの作品に文句をつける人もいるのかも
しれない。私の父だったら必ずそうするはずだと確信し
ている。それでも、現在はこのような感覚で終戦日を過
ごしている人のほうが多いのだろう。それでもこの日を
忘れないでいる人が存在している、そして一句を作って
くれている。このような気持ちは大切なものだと思う。

 遠慮がちです終戦の日の百日紅            吉川  通子
 森川作品とは違うアプローチの終戦を語っている。年
齢や暮らしている環境によって終戦の日に対する気持ち
の在り方も違ってくるのだろう。百日紅に気持ちを託し
てさりげなく終戦を語っている。このような作者の心持
は日本人として大切なものだと思う。戦争を知らない世
代とは言えこの気持ちは忘れてはいけないのだと思う。

 空襲も見てきた大火鉢布袋葵の花             渥美 ふみ
 この作品も戦争を語っている。空襲という具体的な戦
争体験からこのような穏やかな作品を作れる作者に敬意
を持ちます。きっとお宅にあるのだろう大火鉢にどのよ
うな思いがあるのか、おそらくはお宅の庭のきれいな花
を咲かせて楽しませてくれている布袋葵の花にどのよう
な気持ちで接しているのだろうと思わされている。