句評

9月号句評-7月号作品より
                    森 命選

思い出は無いけれどよそのお母さんのカレーライス   大川 崇譜
 やさしい仕上がりの句に一度に作者自身が読みとれる。昭和人はカレーライスが大好き。子供の友達が来るとカレーライス。子供会の食事となればカレーライス。山の講の夕食はカレーライス。ルーは同じでも具の違い、具の大きさ、煮込み時間の違い、その家、その作り手の味がありました。女性に言わせると「一番手っ取り早い」そうですがおかわりの分も見込んで沢山作ってありました。
「思い出はないけれど」と作者は言うが、句にされたところから見ると、結構およばれになったものと思える句でした。

雨上がる風の生まれる青楓               伊藤 三枝
 短律であっさり仕上がっているが題材がよかった。それを捉えた作者の技と言いたい。「雨上がる」「風の生まれる」ここまでは絶賛するほどではないが「青楓」と結びつけたのはとても適切だと言えます。よく、「この句にはこれでなくちゃ」と言われる事があります。この句もその一つであります。「青楓」がどんな雨だったか、どの程度の風かを読み手に間違う事なく伝えてくれます。

長袖から半袖にハンガーも初夏                             大内 愛子
 この句も奇をてらう事なく、目の前の風景をそのままに作者自身を入れ読みこんでいます。自由律の源流です。
 六月の更衣は初夏の営み、この頃はワクワクする心持ちがあります。「ハンガーも初夏」とあるのは作者自身なのです。ですからこの  「も」は少しも気になりません。仮に「半袖から長袖にハンガーも初秋」では感動が生まれません。そんな事からもこの句は絶妙と言えます。

 カイツブリひな三羽あっ四羽母を追いかけ浮葉を泳ぐ  上塚 功子
の句を読んで感動を覚えました。それは碧師や一碧樓師が自らの殻を破って進まれたのはこうゆう事だったのかと思えたからです。よく見ておられます。
「母を追いかけ」の情、「浮葉を泳ぐ」の妙。何より「ひな三羽あっ四羽」と堂々と詠みきった作者。一緒にこの風景を見ていても、これ以上の句など私にはできない。素晴らしい句を見せてもらいました。

薫風という遠い記憶の風                原  鈴子
 とてもうまい句です。この句に作者の句歴と精進の姿を見ました。褒めるばかりではありません。この句に私自身が自由律句を始めた時の事が思い出されたからです。
 当時私は鵜飼名茄先生に句作の手ほどきを学びました。名茄先生は海紅と青い地球の二冊に投句をされ、選者もされていました。私の作った句を添削して、これが海紅の句、こうすると青い地球の句になる、君は海紅の人になるのだから、こう言う風がいいよと何度も教えていただいたものです。「薫風」で始まり「風」で終わる。そして「遠い記憶」。スゴイ句を見せていただきました。

 口を開け死んでいる野鼠春終わる           松田 寛生
 一見説明している句と思われがちですが「春終わる」で深読みできます。これぞ自由律と言いたい。野鼠の生命は壮絶に終わったのだが下句の「春終わる」で中和されています。目の前にあるものを直接詠む事がいかに大切かを示している句です。

早朝の煙草を二箱も買っている童顔の女        無   一
 こう言う題材で仕上がった句は面白い。「早朝の」であり「童顔の女」であったから作者の琴線と波長がピタリと合ったのだと思う。このどちらかが欠けたら、この句の良さ、面白さがなくなってしまう。目に映った事に自分の人生で培ってきた知識とが絡み合って複雑なものがあっさりと表現される。かつて海紅ではこれらの句を社会派と呼んだ時期がありました。
薔薇の足もと出番待ちアジサイ緑の蕾         吉川 通子
 花の好きな人の句とすぐわかる。「足もと」「出番待ち」の二語が伝えるものは大きい。薔薇もアジサイも共にスターである。ただ自然から与えられた順番が違うだけです。それを待つ身の奥ゆかしさが窺えます。作者の句意と違いますが人生にも当てはまるよう。下句が一息長いと感じたが削る所が見つけられませんでした。

                  加藤 晴正選
思い出は無いけれどよそのお母さんのカレーライス   大川 崇譜
 深い詩情を感じました。そのまま読めば「子供の頃友達の家でカレーライスを食べたなあ、でも思い出は特別無いよ」となるでしょうがこの句はひとすじなわではいかない。カレーライスは家庭の味の象徴のような食べ物。
「よその」というフレーズで「うち」と「よそ」との断絶を感じさせますが、決して突き放したようでないのがこの句の見どころだと思います。思い出が無いという寂しい状況が浮かびますが、カレーライスに温かい体温を感じました。

シロツメクサの冠被った少女の頃の気持ち                    上塚 功子
 素直に詠んだ爽やかな句です。夢見るような気持ちで晴れ晴れしてた少女時代。映画のひとコマのようですね。そして、今現在も少女時代の気持ちのように晴れ晴れと生きている作者の顔が浮かびます。

 まあるく膨らんだ山トンビがゆるりと輪をかいた    小籔幸子
 のんびりした山里の景観ですね。「まあるく膨らんだ山」という言いまわしが、この句を温かくしています。
 トンビもゆっくり飛行しています。時として厳しい自然ですが、「まあるく」という山の形容に自然と共にする作者の暮らしぶりが浮かびました。「膨らんだ山」という地中から盛り上がってきた自然の力強さを感じさせるフレーズにこの句の大きさを感じます。

餌台に賑やかな雀達坂を来てどっと疲れ        清水 伸子
雀達の元気な姿に対して作者はようやく坂を上がって来て疲れています。「どっと」という表現が秀逸で、その疲れぶりが出てますね。元気な雀達と疲れた作者、この対比が愉快です。

曇天の母の日私不自由じゃない             杉本 由紀子
 快晴でも雨でもない「曇天」です。ことさら特別でない落ち着いた母の日を想像しました。母という役割に縛られることもなく、日々の生活が豊かな様子を思わせてくれました。

 強風洗濯物目一杯揺れ                千田 光子
 情景そのままの一句ですが惹かれました。何気ない一瞬をとらえた作者の詩心が素晴らしい。「目一杯」が良いですね。大きく揺れるさまが目に浮かびます。漢字を並べ、たたみこむスピード感も強風を表して秀逸だと思いました。

おいも食べている嫁さんと過ごした四十五年      中塚 唯人
 どこにでもあるような情景。それをしみじみと詠んでいます。ここでの「おいも」は家庭平和の象徴でしょうね。四十五年、長かったようなあっという間だったようなという作者の幸せなつぶやきが聞こえてきます。

悩みやぐちやら喫茶店の片隅             中村美代子
 ここでいう喫茶店は、チェーン店ではなく個人経営の喫茶店と読みました。その喫茶店の片隅はきっと薄暗いでしょう。悩みやぐちをこぼすには薄暗い隅っこが最適なのです。

眠気に誘われて押したキーが続けざま         原 鈴子 

 私も経験があります。うつらうつらしてキーを押しっぱなしにしてしまうのですね。例えば「あ」のキーを押しっぱなしにして「あああああああ」、とか打ち出されて。失敗したというより、まあいいじゃないかと思えば愉快です。

五月晴れジョロと長靴誰が見ても俺          森  命
「誰が見ても俺」です。堂々としています。五月晴れのような心持ちで過ごせる幸せ。この自己肯定感の素晴らしさ! 眩しいように感じました。

泥船になり続ける                  石川 聡
 覚悟を感じます。自身が泥船になるのです。いつ沈むかもしれない泥船になり続けようと作者は宣言するのです。なぜなら、信じるものがあるからです。沈没寸前であってもそこに踏みとどまろうとする意志の尊さを感じます。

10月号句評-8月号作品より

                   原 鈴子選

小雨となる集落どくだみの白い静寂           大西 節
 抒情的で情景の見える作品。鄙びた山里とひとの気配のない集落。どくだみは薬草としてどこでも植えられていた植物だけど旺盛な繁殖力を持ってはびこる。匂いも強い。反して花はと言えば白く小さく、白い静寂、花と集落の寂しさ小雨と畳みかけるように静けさを強調して全体をまとめている。奥深い味のある情景句と思う

歩いた顔に張り付いたお日様              加藤 晴正
 この暑さの中を歩いたらこの句ができた。ジリジリ照り付ける太陽、まさにお日様が張り付いた。ひりひりと熱い顔をあらわすのに、この言葉が生まれた。発見といえる。言い古された言葉に飽きたときこんな表現に会うとあっぱれ! と言いたくなる。

 捩花の螺旋階段上った先は梅雨空                上塚 功子
 捩花の螺旋階段上がるのは天道虫か、ついそう思ってしまうポエジー。天辺まで行って天道虫が見たのは梅雨空。うっとうしい梅雨も捩花の螺旋を見れば、それは空へ上る階段。なんとかわいい発想、少女のような心がなければ見えない階段だと思う。

 庭の杏コンポートにして夏が来た                河合 さち
   杏は少し酸っぱく甘い。李の甘さとは、また違う、それを好んでコンポートにする、手間のかかることだ。
 花もかわいい。庭にあるから、毎年の仕事だろう。やり終えたら夏が来ていた。日々の暮らしを丁寧に送っているのがわかる。

 山鳩が鳴いているこれからのスケジュール                           清水 伸子
 山鳩の鳴き声はほらほら、はじめよーと鳴いているように聞こえる。スケジュールを見なければと催促されているようだ。とりあわせは、ぴったり。
 我が家の庭。私のすぐ上で突然鳴かれたときは、さすがに驚いた。姿は見せなかったが、しばらく鳴いたのち大きな羽音をさせて飛び去った。遠くで鳴くのは風情もあるが、こんなに近くでの鳴き声、その大きな声はちょっと遠慮したい。

追いつめないで深呼吸ひとつ             杉本由紀子
 話し言葉と言葉にならない動きでまとめられていて、すっきりと自由律らしい。切羽詰まった時こそ深呼吸は必要。突っ走るまえの一瞬の冷静さしんどい時のひといき。どうしても決断の時はある。深呼吸のひとつを忘れずに。生きている限り大切にしたいものだ。

 荷物の中にサザエさん本開けば懐かし          千田 光子

 素直にそのままを句にしている。そのままの句もそれなりに好もしいと思うが、多少のひねりもほしい。読み手に想像させる何かを残していてほしい。それこそ「はて」と想像の余白を愉しむことができる。

 元気に来年スモークツリーの枝を剪る          高橋 毅
 スモークツリーの花の実物を見たのはほんの二年前、なんと不思議な夢のような花だろうと思った。また今年その花を活けているのを見た。スモークツリーって名前よと少し得意になって言った。それほどみんなに知られてない花だった。来年もきれいに咲かせるためには剪定が必要なのだと思う。

トンビがくるりと輪を描いて六月おしまい       中塚 唯人
 昔の流行歌の歌詞を使い、句の大半がそれで、六月おしまい、なのか。日がたつのは速い。うかうかしているうちに令和六年おしまいになりそう。
 最近はトンビを見かけない。特徴のあるその鳴き声にお目にかかることもない。空高く回っているトンビもおしまいと言っているのか。それにしても懐かしい三橋美智也のこの歌、もう知っている人も少ないと思う。

朝の挨拶葉付き枝豆差し出され            中村 加代
 うれしい枝豆のおすそ分け、畑からそのまま持ってきたものだから葉の付いたまんま、もしかしたら泥までついていたかも。親しい間柄ではの遠慮のないやり取り、差し出しようもそっけない。人と人との付き合い方、おおらかな人柄まで感じられる。この句を読んでいると、玄関先の雰囲気まで想像できる。不思議である

海紅ネット句会8月俳三昧より

                  中塚 唯人選

お米の値段じっくり見て東京37.6℃            湯原 幸三
 今年は米不足になると不安が煽れているが、風評に惑わされない冷静な目を持ちたいものだ。
 それに比べてこの暑さはどうだ。こちらは将来にも関わることで全世界がもっともっと関心持つことだと思う。 

命がけの草とり汗だらけのシャツ              安達千栄子『命がけ』の措辞が、充分な脚色となり暑さを助長している。ただやや題材がゆるいといえよう。

 猫背なり流行りマンガのTシャツを着て                  加藤 晴正
   晴正さんのその様子を想像すると微笑ましくなる。私はマリリン・モンローとマドンナだがアドベンチャーな夏とご容赦ください。

 佐渡土産岡山の土産無事のみやげ夏               森  命
句では「佐渡の土産」と「の」が入ったのだが多すぎるので削ったそうだ。やはり全部入れた方がいいと思う。「佐渡の土産岡山の土産無事のみやげ夏」そうすると三つが一つのみやげになって、命君自身への大きなみやげになると思うからです。

 夜の闇サルスベリ大きく揺れて魑魅魍魎          中塚 唯人
これは自解となりますが、実際に見たことで、裏道で角を曲がったら大きなサルスベリの木があって、あれって風で右に左に大きく揺れている様は生きて私に掴みかかかってくるようで怖ろしかったとさ、と言うことです。

 換気扇の音微かに夜涼み                   松田 寛生
「音微か」がいいですね。今時の住宅は24時間換気の小さな換気扇が回っています。「微か」がないと、キッチンの換気扇では「夜涼み」になりませんから。ただ「に」を除くのもありかと。しかしここは反対です。この「に」により微かな音が聞こえるのだと思うからです。このへんは作者の意見を聞きたかったところです。

 泣きじゃくる選手に溢れたものパリ五輪の一コマ      吉川 通子
 刹那的な場面ですが、スポーツの良さですね。「一齣」は「一コマ」のほうが良さそうですね。++

11月号句評-9月号作品より
                  石川 聡 選

夏の雨葉ごと違うお喋り音色            小藪 幸子
 雨が大きな桐の葉や無花果の葉にあたる音はやはり大きいです。柿の葉や紫陽花の葉など中くらいの大きさの葉、お茶の葉のように小さくて密集した葉や十薬のように一面広がって地面に近い草の葉、雨のあたる音はそれぞれ違うでしょう。「ああ、なるほどその通りだなぁ」と共感できます。しかも雨のあたる葉の音をお喋りに見立てて言い取ったところは、よく観て良く聴いているなぁと感心します。気になるのは結句の「音色」です。雨が葉にあたる音=聴覚の要素の表現を「お喋り」と「音色」と二度述べてしまっている点です。これでは同じような意味を繰り返し表現する重言(じゅうげん)になってしまいます。短い言葉の組み合わせで最大の詩的効果を目指す自由律俳句としては、とても勿体ないのではないでしょうか。ただし、最終的決断は作者にあります。決して強制や添削ではないことをお断りいたします。

土曜の夜は遠花火夏のはじまり           中村 加代
 花火で「ああ、夏だなぁ」はとても共感できます。定型俳句界では花火は夏の季語だそうです。花火と並べて「夏のはじまり」と詠めば、季重なりだから言葉を変えた方がいいと指摘される可能性が高いでしょう。ですが自由律俳句は随分前に季語・季題のルールに拘る形式を十分に吟味したうえで捨てています。季節感がありのままに表されていて、過剰な説明感や違和感がなければ気にする必要もないと自分は考えています。
それよりも掲句で気になるのは、鑑賞用の花火であれば夜に打ち上げられるので、夜と花火に同じ意味合い(夜=花火の時間帯)の重複した説明感(付き過ぎ)を感じます。
もう一点「はじまり」の名詞で句を結ぶ表現(体言止め)が選ばれていますが、ここを動詞で結ぶと「夏はじまる」と表現できます。そうすれば「夏の」の助詞「の」を一音省くことで、助詞による「説明感=散文感」を軽減できます。加えて「はじまる」の動詞の余韻の性質が、季節の動き・移り変わりの動的雰囲気を強めてくれるのではないでしょうか。結句は句の余韻を左右する重要な部分。なるべく細かい言葉選びに気を遣えば更に素敵な句になるでしょう。以上の気になる点は、あくまでも自分の読み筋のこだわりです。決して強制や添削ではないことをお断りいたします。

水固まり胡瓜になる               松田 寛生
 モノの資料によれば胡瓜の水分含有量は95%だそうです。掲句は胡瓜の特徴を「水固まり」で端的に表現しています。結果12音での断定的言い切りに惹かれます。無駄無い語の組み立てが文体を凝縮させ詩情を生んでいます。もし「水が固まるように」などと、安易に直喩を選べば音数はすぐに3音増えます。凝縮効果は薄れ魅力半減でしょう。完成度は十分高いと思います。強いて言えば、ここまで言い切れるなら「になる」という胡瓜の成長過程の時間表現をも思い切って省略し、水の固まり=胡瓜という特性一点に絞ってもよいかもしれません。あくまでも作者の好みと決定の問題になるので、自分の読み筋は決して強制や添削ではありません。

待ち時間が並んでいる              加藤 晴正
 掲句は「待ち時間」と「並んでいる」の二つの要素だけで詠まれています。状況設定は複数の読み筋が可能でしょう。例えば、病院での順番待ちやラーメン屋など人気飲食店の行列、ラッシュ時の駅ホーム。読者が参加して好き好きに読める余白を置きながらも「並んでいる」の動詞で読みを方向づけて誘導する設計が巧みですね。
自分は「並んでいる」の語からやはり行列の様が思い浮かびます。それを受けて掲句が「待ち時間」の本質を捉えた句として読んでみました。時間を行列という視点で捉えた場合、人が時間を消費している状態、更に人=時間にまで突き詰めて(=表現を圧縮して)置き換えた言いきりの表現になっています。それが通常の説明目的の散文を脱し、文芸的な飛躍の表現に達しているため、ハッと読者を打つ詩情を放つのだと思います。

他、気になった句。

闘わないで受け入れる手だて       中村美代子
引っこ抜かれるねこじゃらしも全力で   原 鈴子
風を預けて夏は去る           森 直弥
セミの抜け穴数えている予定の無い朝   大内 愛子
山の水あふれ一筋足元に分かち      大西  節

 

海紅ネット句会『海紅俳三昧』九月

続く真夏日とにかく月見バーガーだ           幸 三

 幸三君得意の月見バーガーの句、私も作ってみた。ただ仲秋の名月を主題としました。.

名月や弓手にMACシェイク射手には月見バーガー    唯 人
 矢
張り横文字が入ると長くなります。自由律ですね。

散歩の犬の肉球火傷しそうな道            千栄子
 こいつは犬に聞いて・・・。

閑人に農をすすめる自販機の音二つ           命
「君に」と始めるとインパクトが出ると思いますが。

豆腐屋も薬屋も蕎麦屋も歩くこの街の音        晴 正
「歩く」を考えてみたいです。

台風のろのろ落とし物一瞬虹が出て消えた       通 子
「のろのろ」がいるでしょうか。

遠流の島へ銀河落つ                 寛 生
 こんな星空まだあるのでしょうか。

一歳になった孫しっかと立つ爺さんは寝転がる     唯 人
 孫と爺さんの一日です。