万華鏡Ⅰ

句評―5月号作品より

                                                                                 石川 聡選
坂道のぼる膝の詩              河内 秀斗
 上りテノール。下りソプラノ。坂の角度、膝の角度。「坂道のぼる膝の」までは健康あるある話だが「詩」の止めで、まさに12音を詩の次元へ昇華させている。

大人も子供もその間も三月のバスを待つ    さいとう こう
「その間」が決定打。それを三つの「も」(O母音)重ね、三月(tsu)バス(su)待つ(tsu)の三回の脚韻という周到な詩的レトリックがお膳立てしている。技巧句だ。

門付、サンカ、宮本常一のこと今日四温    高橋 毅
 門付は放浪の民(道々の者)の系譜、サンカは山の民の系譜、宮本常一は切り捨てられる民の記録を膨大に残した偉人だ。自由律の民も確と記録を残さねば危うい。

ホスピスの雪柳溢れて溶けてしまいそうな   室伏 満晴
 溶けてしまいそうなのは人の命。白い壁白い廊下。雪柳の白。省略された思いや情が溢れるのだ。すべての語がしなやかな覚悟と哀惜を帯び、白く透明に響き合う句。

朝日さす無住寺鬼瓦の目の光         森 命
 無住寺から廃れた境内や朽ちた木造など亡びの印象が浮かぶ。それに対し、朝日の鬼瓦の目は、作者の生きる力そのものとして投影され光を放っている。力強い句。

苺転覆あかく染まったエコバッグ       吉川 通子
 残念な状況だ。なのに色彩と香りが鮮烈。ちょっとオーバーな「転覆」の語がポップさを演出し憎い。エコバッグをこんなに楽しく詠んだ句を私は知らない。 

根開き新しい手帳を買った           若木 はるか
 春の日に山の樹の幹が熱を持ち根元の雪が丸く溶けるのを根開きという。雪国の言葉だ。春は白い雪の根元から開く。まっさらな手帳との取り合わせが清新。

鼻の奥から春が来る                         安達 千栄子
 俳句は今(認識の瞬間)を詠めとよくいわれる。春(=花粉症)が鼻の奥で認識される瞬間を見事に、しかも明るく捉えたユーモア。こころに余裕があり楽しい句。

手紙に綴る母は二車線                     岩渕 幸弘
 母=二車線の暗喩が面白い。まめに手紙を書く母なのかな。大胆な省略と言い切りだからこそ手紙の往復と二車線の往来が響きあう。母への深い眼差しがある。 

スプリングハズ押す             大川 崇譜
 スプリング・ハズ・カムに相撲の「ハズ押し」が掛けられている。決まると数秒で相手を押し出す。一気に春になる様を短律で詠み切った腰の強い句だ。

春はもかもか呼吸する土です         大迫 秀雪
「もかもか」の音喩で魅力が決したといえるだろう。独自の音喩(オノマトペ)がハマった時、どのくらいの威力を発揮するかがよくわかる好例の句だと思う。 

蕗の薹かお上がる風の細みち         大西 節
 完全な写生ではなく「かお上がる」の控えめな擬人化によって春への抒情が細道の風のように吹き通る。過剰な表現が一切省かれた、いぶし銀の句だ。

死んでゆく人の眼を見た新聞紙        加藤 晴正
 新聞紙が見たとの擬人化した表現だが、実はその人の目が新聞紙を見たのだ。文脈を辿りその核心に至るとき慄然とせざるを得ない。

やがて透明になる母の身体を起こす      加藤 晴正
 句中の語り手が主体となり、母の体を起こしている。「やがて透明になる」の本意は隠され、あるのはただ透明だ。読者は自身の解釈へと引き込まれる。

他に惹かれた句。
古紙回収つぎこそは恋の歌書かれたい        小早川すすむ
紅い花も白い花もまっつぐ梅の古木      田中 耕司
沈痛なカレーの香り妻のスパイス       平林 吉明
春を切り取り切り取り列車の窓        伊藤 三枝

 

                                                                                 森  命選

仰げば尊しで泣いていた昭和人        安達 千栄子
「仰げば尊し」と「蛍の光」は確かに昭和生まれの心に響きます。そして昭和人の精神をまっすぐに導いてきた歌でもあります。今ここに、こうして句に詠まれると確かにと頷きます。哀愁のメロディーでありますが、そこに一つの区切りを感じてきました。「蛍の光」は、かつてスーパーやパチンコ店の閉店を告げる曲としても使われていました。その理由に感謝があったことも間違いありません。昭和生まれの琴線にふれる句。

いちごという名の春は安売りを断る      大川 崇譜
 力強い気持ちの良い句である。春先には熊本産のイチゴが店先に並び、やがて近物産に変わる。品種改良され大ツブの実で甘味が強く「女王」とか「姫」の名のつく物が多い。岐阜県産は「濃姫」というのが高値。春真っ先の果実であるから期待も大きい。そのイチゴにかけて作者が自分の信念を詠んでいるかのようだ。句の良いところは、こうした芸当ができることだ。

 棟梁たちもあつくなるひばりの肺活量     大迫 秀雪
 近年めっきり減ったひばりが詠み込まれた句で目をひかれた。低く地面に巣を造る鳥で、大工もひばりも家造りに懸命である。留鳥のひばりは、この句にピッタリ。「ひばりの肺活量」は言い得て妙。「あつく」は体温よりも作業に熱が入るのであり、ひらがなで正解である。
どうしても気になるのは「も」である。作者の気持ちは解るが、句としては「が」が適切であると思う。

走り去るタイヤは息を吐いて行く        空 心 菜
 新鮮な句である。詠まれていそうで見た事がない句。自動車でも二輪車でもタイヤは極限の能力を発揮している。長距離、高速になればその過酷はすざましいものである。縁の下の力持ちという奴である。パンクする迄その有り難さを思う者は少ない。こう詠まれた事で、タイヤは作者に感謝しているだろうとさえ思う句である。

大人も子供もその間も三月のバスを待つ            さいとう こう
 この句三ツのおもしろ味がある。一ツは「大人も子供もその間も」の「その間も」である。これは読み手によって、その位置が変わってくる。限定しないで読み手に任せることにより、おもしろさが増す。
 二ツ目のおもしろさは「三月」である。入社、入学、引っ越し諸々が渦巻く三月を言い当てている。それが人生という名のバスを待つのであり、実によく解る句である。
 三ツ目は「も」が三ツある事である。「も」はできれば使いたくないが迷った時は三ツ使えと言う海紅の手法が活きている。

ゴッホのジャガ芋を食べるを見たかった             清水 伸子
 私はゴッホに対して知識の少ない人間だが、この句を見てゴッホにジャガイモに関わる画があるのだろうとうかがえる。そして作者がゴッホを好きなのだろうと知る事ができる。何より温かみのある、ゆったりとしたこの句が好きだ。海紅社の床の間を見て詠まれた仲野利三郎師の句を思いうかべます。

墓参は皆で声だかになり春彼岸        中村 加代
「皆で声だかになり春彼岸」それは悲しみを乗り越えた墓参であり、故人を忍び、敬う会話であふれた墓参であろう。作者を知る人も知らない人もこの情景を思い浮かべるであろう。素直な句とはそういうものであり、まして同人であるから作者と結びつきが生まれる。句は芸術であり日記であり心を伝えるものであると思う。 

朝のあいさつ運転手の声いい日になりそう    中村 美代子
 たった一声で一日が明るくなる。それは魔法の如きものである。実際にそうである。何げない生活の中での一句。作者と運転手の一期一会であるはずが、大きな実りを感じる。作者の心にある鏡が描写されている思いがする。

持ってかえろ形そのままハクモクレン     吉川 通子
 おもしろい句と拍手せざるを得ない。まだ枯れ色の出ていない落ちたばかりのハクモクレンだろう。作者はこの時ハクモクレンを拾い、一句も拾った。作者が花好きであるからである。この句も自分を表現して余りある句である。句の形が独創的なのも功を奏している。のびのびとした現場感が出ていて新しい句の型の幕開けを感じさせる。

                   若木 はるか選

 ギリ読めない文字として落ちている枯葉     小早川 すすむ
 落ちている枯葉を文字として認識する、これは楽しい! ただ枯葉が落ちているだけの風景が、限りなく文字が落ちている風景に早変わりです。しかも文字だとはわかっても、何が書かれているのかはわからずぼんやりと想像するだけ。その想像のむこうに何かが現れてくる予感がします。「ギリ」というスラング的表現に引っかかる方もいらっしゃるでしょう。しかし、今この時点においてこう詠みたかったということがすべてだろうと思います。自由律は常に新しい表現を取り入れてきたのですから。

工場の煙まっ直ぐ太いまま          中塚 銀太
 風のない日だったのでしょう。こういう句は何となくでも常に見て観察していないと出て来ない句ではないかと思います。句の情景がまっすぐ読者に届く佳句と思いました。

買おうか買うまいか揺れる春のブラウス    小籔 幸子
 これは共感せずにいられません。「揺れる」が気持ちとブラウスの両方にかかっているのがうまい。春のブラウスはないとさみしいけれど、実際の出番は意外と少ない気がします。そして来年の春はまた流行が違っていたりして、ちょっとした贅沢品と言えるのでは。でもやはり、新しい春色のブラウスを着て颯爽と出かけたいのが女心というものですよね。

さくら色のマニキュア弱虫の爪守る      吉川 通子
 マニキュアは自分のためにする人が多いのではないかと思います。ふとしたときに自分の指先を目にして、それが桜色に彩られていたら気分が上がる。女ってそういう生きものですよね。だから、心が弱っているとき、お守りのようにマニキュアを塗ったりするのです。

空にたなびく言葉ってええなぁ        平林 吉明
 誰の言葉なのか、そのまま拾った句のようです。紛れもなく詩の言葉。こういう言葉を心にとめて句にする作者も詩人と言えるでしょう。

少しひらいているくらいがいいのよ春ねてんぷら 大迫 秀雪
 この句もそのまま言葉を拾ったものですが、かなり工夫を凝らしていると思います。たぶんフキノトウだと思いますが、名を入れずにわかるように作ってあります。そのために「てんぷら」を最後に配して、間に「春ね」と入れることで絶妙のバランスを取っていると思いました。そして、フキノトウは少しひらいているくらいのがちょうどいい苦みと香りがあって美味しいと私も賛成します。

赤い橋渡るたぷたぷ春の潮                    伊藤 三枝
 解説するまでもなく、明確に景が立ち上がってきます。ひとつも無駄がなく美しい句姿だと思いました。「たぷたぷ」という擬音語で楽しい気分が伝わってきますね。

列柱の影次次と背に当る           空 心 菜
 影だから実際に当たっているわけはないのですが、詩人の感覚は実体をもって当たっているかのように感じるのでしょう。とても印象的な一句。

て、つなぎやらかいぬ、くもり        石川 聡
「手つなぎやらかい温もり」と書けば良いところを「、」を入れてなぜこの形にしたのか。一読して皆さんそう疑問を持つと思います。「て、つなぎ」の句点は実際に手をつないだ時の重なる手のイメージ、ビジュアルでも内容を表現していこうとする試みではないかと考えました。

 もう一つの句点は、ここで区切ることで重層化していく手法と思います。意味的には「やらかい/ぬくもり」でしょうが、句点で区切ったときに「いぬ」「くもり」が立ち現れてきます。「いぬ」「くもり」を重層的にイメージさせることで、「やらかい」を強化しているように思います。あくまでも私の勝手な解釈で、作者の意図とは違うかもしれませんが、これもまた一つの読みとして面白がっていただけたらと思います。